フランチェスコ・トッティ
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フランチェスコ・トッティ(Francesco Totti、1976年9月27日 - )は、イタリア、ローマ出身のサッカー選手。ポジションは攻撃的MF、FW。
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[編集] プレースタイル
高いテクニックとパスセンスを持っているが、同時に強靭なフィジカルも併せ持ち強烈なミドルシュートやダイレクトボレーシュート、ヘディングも得意とする穴が少ない選手。十八番はダイレクトパスやヒールパス、チップキックで中でもチップキックはサッカー欧州選手権2000の準決勝オランダとのPK戦で決めて(PKではパネンカと言う)以来強いこだわりを持っており、自らクッキアイオ(イタリア語でスプーンの意。ループシュート)と名づけるほどの入れ込みようである。日本ではそのままクッキアイオ、またはスプーンキックと訳されることがある。また、自伝のタイトルにもしている。
[編集] プレーヤー
イタリアのクラブチーム、ASローマとイタリア代表の司令塔。1992年シーズンにわずか16歳でローマのトップチームでデビューし、1995年にはレギュラーを確保。甘いマスクで、生粋のローマ育ちのロマニスタであることから、ファンからはジュゼッペ・ジャンニーニに次ぐ「ローマの王子様(イル・プリンチペ)」と呼ばれ特別な存在となっている。20歳代前半にしてキャプテンとなりチームを牽引。当初はFWだったが司令塔にコンバートされてから才能が開花し、シュートを積極的に打つなど得点意識が非常に高い一方で、柔らかいタッチのパスを出せるようになり、万能型の世界的な選手へと成長した。セカンドトップもこなす事ができるが、現在の所は司令塔での起用が多くそれに見合った活躍を披露している。2006-2007シーズンではワントップ気味で起用されているがそこでもポストプレーを初めとする多くの役割を難なくこなしている。
クラブではもちろんのこと、イタリア代表でも背番号10番を背負う。そしてこのナンバーに強いこだわりをもっており、2002年ワールドカップではデル・ピエロに掛け合って背番号を譲ってもらうなどプライドが高い。イタリア代表でも高いパフォーマンスを発揮する一方で、チームが際立った結果を残せないため、ロベルト・バッジョを始めとするイタリア歴代の英雄と比べて並び称されないもどかしさも持っている。2002年ワールドカップの韓国戦ではシミュレーションをとられ退場(後にFIFAが誤審を認める)、EURO2004では、予選リーグ、デンマーク戦でクリスティアン・ポウルセンの顔面に唾を吐いたシーンが映像に残ったため3試合出場停止処分を受け、それぞれイタリア敗退の原因を作った。
2006年は2月前半、好調のトッティは9連勝というクラブ新記録達成に貢献。しかし、10連勝をかけたエンボリ戦において、開始まもなくバックチャージをうけ転倒し、足に骨折、靭帯損傷と大怪我を負う。手術は上手くいったとはいえ、イタリア国民、そしてリッピ率いる代表もトッティのWカップ出場は不可能だろうと考えていた。しかしトッティはリハビリを続け、脅威の回復力を見せた。そして、セリエAの最終節のACミラン戦でピッチに復帰。みごとドイツW杯代表に選ばれ、オーストラリア戦では決勝のPK(後にFIFAが誤審を認め、ブラッター会長はオーストラリアに謝罪)を決め、本調子でないもののイタリアの優勝に貢献した。
2006-2007シーズンからはセンターフォワードに転向し、新境地を開拓。ローマのエースとしてセリエAの得点ランキングをリードする存在になっている。
[編集] 性格
ユーロ2004のデンマーク戦においてクリスティアン・ポウルセンの執拗なマークに怒り、唾を吐くなど精神的な脆さが以前のトッティには見受けられた。しかし2005年に結婚し息子も生まれたことにより、精神的な強さを見せるようになってきている。普段は控えめな好青年とされている。
また、アントニオ・カッサーノが入団したときは、トッティは自ら兄貴分をかって出た。二人の息のあったコンビネーション・プレーはファンの間でも人気が高く、そこにヴィンツェンツォ・モンテッラを加えた3トップは当時のセリエAにおいて屈指の攻撃布陣を形成するに至った。しかし、カッサーノの問題児ぶりは解消されず、トッティに対しても傲慢さを見せるようになり、2005年の秋にトッティは兄貴役を解消した。その後もカッサーノは説得を試みるものの、翌年、カッサーノはレアル・マドリードに移籍してしまった。それでも、親交は保っているとされる。
しかし一方では非常にお茶目な性格であり、このような二面性からファンも多い。
- 日本でいう"ウイニングイレブン"では自身の能力の評価に満足している模様。ナイジェリア代表を愛用しているらしい。たまに自身をレアル・マドリードに移籍させて遊んでおり、氏曰く「僕には白ユニが似合う」。
- いまや十八番のチップキックによるPKはEURO2000準決勝のPK戦において"ウイニングイレブン"の技を真似て実践、成功したことに端を発する。チームメイトには「二度とやるな」と怒られたらしいが、2006年ワールドカップのオーストラリア戦でロスタイムに奪ったPKを蹴る際も一瞬だけだがやろうかと思った、と述べている。
- 漫画「キャプテン翼」の大ファンで、登場人物の日向小次郎の放つ雷獣シュートを実際に練習し、骨折したという噂も囁かれている。(このことに対しては、真相はわからない)
- また、試合中にキャプテン翼のまねをしたら、マルディーニに「キャプテン翼のまねしてるんじゃない!」と怒られたことがある。
- 昔、ドッキリ番組で友人とレストランに入り、セクシーなレストランの奥さんに挑発されて服を脱いだ事がある。
- トッティの話すイタリア語はローマ訛りが強く、イタリアのコメディアン達は皆トッティの喋り方を真似するらしい。また天然ボケのような発言も多く、イタリアでは「おバカなキャラクター」で定着し、サポーターからも「ペプポーネ」(「大きな赤ちゃん」の意)と呼ばれている。フジテレビではその情報をいち早くキャッチしすぽると!の『サッカーの頂』(現在終了)のコーナーナレーターが「トッティなのら~」という頭の悪いキャラのセリフでトッティの出来事を紹介していた。同局のフットボールCXではセリエAを青嶋達也(フジテレビアナウンサー)が担当し、トッティのダイジェストシーンには「○○○なのら~」というナレーションがついた。
- ちなみにトッティのこのようなキャラクターは日本でも本(「トッティ王子のちょっぴしおバカな笑い話」)として紹介されている。この本は元々イタリアで彼をネタにした小話を自身公認の元に刊行された前代未聞の本であり、売上は彼の要望で全て慈善団体へ寄付されている。
[編集] その他
- EURO2004の合宿中、足の付け根を痛めその原因を当時契約していたナイキのスパイクであると発言。これに対して、ナイキはスパイクではなくイタリア代表のスポンサーであるプーマのソックスが原因と抗議し、大会終了後にナイキ側から契約を破棄された。その後トッティはディアドラと契約している。
- 私生活では長年交際していたタレントのイラリー・ブラージと2005年6月18日に結婚。2005年11月6日に第一子となる長男、クリスティアン(Cristian)が誕生した。
- (日本の)一部のサッカー専門誌が、トッティの結婚、子供の誕生等のプライベートの充実と選手としての成熟を評して「ローマの王子様、イタリアの王様へ」と題したことがあるが、ローマの王子様のイメージが強かったため定着しなかった。
- 好きな食べ物はきゅうり。
- トッティは漫画Roma君の登場人物である。
- 2006年ワールドカップでは自慢の長髪をばっさりとカットし、ファンを驚かせた。
[編集] 関係事項
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イタリア代表 - 2006 FIFAワールドカップ優勝メンバー(4度目) | ![]() |
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1 ブッフォン | 2 ザッカルド | 3 グロッソ | 4 デ・ロッシ | 5 カンナヴァーロ | 6 バルツァッリ | 7 デル・ピエロ | 8 ガットゥーゾ | 9 トーニ | 10 トッティ | 11 ジラルディーノ | 12 ペルッツィ | 13 ネスタ | 14 アメリア | 15 イアキンタ | 16 カモラネージ | 17 バローネ | 18 インザーギ | 19 ザンブロッタ | 20 ペッロッタ | 21 ピルロ | 22 オッド | 23 マテラッツィ | 監督: リッピ |
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イタリア代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ![]() |
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1 ブッフォン | 2 パヌッチ | 3 マルディーニ | 4 ココ | 5 カンナヴァーロ | 6 ザネッティ | 7 デル・ピエロ | 8 ガットゥーゾ | 9 インザーギ | 10 トッティ | 11 ドニ | 12 アビアーティ | 13 ネスタ | 14 ディ・ビアッジョ | 15 ユリアーノ | 16 ディ・リービオ | 17 トンマージ | 18 デルベッキオ | 19 ザンブロッタ | 20 モンテッラ | 21 ヴィエリ | 22 トルド | 23 マテラッツィ | 監督: トラパットーニ |
ASローマ - 2006-2007 |
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1 クルチ | 2 パヌッチ | 3 マルティネス | 4 ヴィルヘルムション | 5 メクセス | 7 ピサーロ | 8 アクィラーニ | 10 トッティ | 11 タッデイ | 12 ピポロ | 13 キヴ | 14 ファティ | 16 デ・ロッシ | 17 タヴァーノ | 18 ヴィルガ | 19 デフェンジ | 20 ペッロッタ | 21 フェラーリ | 22 トネット | 23 ヴチニッチ | 27 ジュリオ・セルジオ | 28 ロージ | 30 マンシーニ | 31 グリッロ | 32 ドニ | 33 フレッディ | 34 マルジーリ | 35 オカカ | 77 カッセッティ | 監督 スパレッティ |
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