イクノディクタス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
画像の提供が依頼されています(Up / Com) |
|
性別 | 牝 |
---|---|
毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1987年4月16日 |
死没 | (現役繁殖牝馬) |
父 | ディクタス |
母 | ダイナランディング |
生産 | 高田栄治 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 勝野憲明 |
調教師 | 福島信晴(栗東) |
競走成績 | 51戦9勝 |
獲得賞金 | 5億3112万4000円 |
イクノディクタスは、日本の競走馬である。51戦ものレースをこなしながら、デビュー以来一度も故障せずに走り続け、「鉄の女」と呼ばれた。全妹に小倉3歳ステークス2着のエミノディクタスがいる。重賞4勝を含む9勝をあげ、当時の賞金女王にも輝いた。現在は繁殖牝馬として北海道新冠町の五丸農場にて繁殖生活を送っている。主戦は村本善之。
- 馬齢については原則旧表記(数え)とする。
目次 |
[編集] 来歴
イクノディクタスは、1988年夏の2歳馬セリ市にて930万円で購買された(そのとき同じセリ市にて1億円で購買されたのは、競馬版『華麗なる一族』の一員である良血馬・ダイイチルビーであった)。
1989年7月小倉競馬場でデビューし、新馬戦、フェニックス賞を連勝。順調なスタートが切られたに思われたが、ここから苦難の道が続くことになる。この年はその後4戦に出走したが全て敗退に終わった。
翌1990年も桜花賞11着、優駿牝馬9着と全くいいところ無く敗れる。秋はローズステークスで差の無い2着、エリザベス女王杯で4着とその後に期待を持たせる結果だったが、結局この年は7戦して勝ち星をあげることは出来なかった。
1991年。マイラーズカップまで3戦して全敗。ここまで14連敗と勝ち星から遠ざかっていたが、コーラルステークスで久々の勝利をあげた。この後一戦をはさんで京阪杯で初の重賞制覇。しかし喜びもつかの間、再び連敗の日々が続く。北九州記念と朝日チャレンジカップの2着を最高に6連敗であったが、勝ち負けには絡んでおり確実に力をつけている印象を植えつけた。この後一時休養に入り、そのままこの年を終えた。
1992年。関門橋ステークスから始動するも新潟大賞典まで6戦して全敗。エメラルドステークスで久々に勝利する。続く金鯱賞では自身2度目の重賞制覇を果たす。高松宮杯で12着と大敗するが、小倉記念でレッツゴーターキンをハナ差退け勝利。続くオールカマーではオグリキャップの持っていたレコードタイムを塗り替えると共に重賞2連勝を果たし、この後の毎日王冠ではGI優勝馬ダイタクヘリオスに喰らい付いての2着と、充実のときを迎える。この後4戦したGIレースでは敗退したが、そのレース振りが評価されてこの年のJRA賞では、最優秀5歳以上牝馬を受賞した。
1993年。日経賞、産経大阪杯で敗れ、天皇賞(春)にも出走するが9着と敗退。しかし続く安田記念でヤマニンゼファーの2着に入り、ダイイチルビーの持っていた記録を抜き、当時の歴代賞金女王の座に着いた。続く同年の宝塚記念でもメジロマックイーンの2着に健闘し、初の賞金5億円獲得牝馬となった。この後テレビ愛知オープンで勝利するが、その後はまたも勝ちきれないレースが続き、富士ステークスを最後に現役を引退した。
[編集] 主な勝ち鞍
- 京阪杯(1991年・GIII)
- 金鯱賞(1992年・GIII)
- 小倉記念(1992年・GIII)
- 産経賞オールカマー(1992年・GIII)
- テレビ愛知オープン(1993年・OP)
- 1992年 - JRA賞「最優秀5歳以上牝馬」 受賞
[編集] エピソード ・その他
- 安田記念でヤマニンゼファーの2着に好走した際、イクノディクタスは14番人気だったため大万馬券となったが、陣営は予想外の走りだったようで、主戦の村本をして「こんな走りをするとは…出てみるものですね。」とコメントするほどだった。
- 繁殖入り後初の配合相手はメジロマックイーンであったが、現役時代メジロマックイーンはイクノディクタスに『想いを寄せていたのでは?』と言われており、ファンの間では『初恋成就』などとも言われた。
(その産駒はキソジクイーンと言う競走名で中央競馬デビューしたが、未勝利で引退となった。)
- 繁殖入りしてからフケ(発情)がなかなか来ず、初年度は注射の力を借りて受胎させたとのこと。
- 産駒はコンスタントに出しているが、なかなか母を超える仔が現れてはいない。
- 現役中のレース振りからは想像も出来ないが、3歳時に屈腱炎を発症しており、デビューさえもままならない状況であった。そこで関係者は装蹄師の福永守に相談。「骨折以外の足の故障は装蹄で治せる」が持論の彼に一時預けられることになり、無事に完治しデビューにこぎつけることが出来たのである(漫画、優駿たちの蹄跡より)。イクノディクタス以外にも故障の治療で彼の元を訪れる競走馬は多いという(タヤスツヨシなど)。
- 担当の厩務員は西谷憲。彼は当時、後に15歳まで現役を続けたミスタートウジンも担当していて、イクノの長きに渡る活躍も彼の働きによるところが大きい。ちなみに以前はヤマピットも担当していた。
[編集] 血統表
イクノディクタスの血統 (ファイントップ系/Lady Angela5×4=9.38%) | |||
父
*ディクタス Dictus 1967 栗毛 (フランス) |
Sanctus 1960 鹿毛(仏) |
Fine Top | Fine Art |
Toupie | |||
Sanelta | Tourment | ||
Saranella | |||
Doronic 1960 鹿毛(仏) |
Worden | Wild Risk | |
Sans Tares | |||
Dulzetta | Bozzetto | ||
Dulcimer | |||
母
ダイナランディング 1980 鹿毛 (日本) |
*ノーザンテースト Northern Taste 1971 栗毛 (加) |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Lady Victoria | Victoria Park | ||
Lady Angela | |||
*ナイスランディング Nice Randing 1965 鹿毛(米) |
First Landing | Turn-to | |
Hildene | |||
Pashamina | Le Pacha | ||
Perfume F-No.1-w |