メジロマックイーン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 芦毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1987年4月3日 |
死没 | 2006年4月3日 |
父 | メジロティターン |
母 | メジロオーロラ |
生産 | 吉田堅 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | メジロ商事(株) |
調教師 | 池江泰郎(栗東) |
競走成績 | 21戦12勝 |
獲得賞金 | 10億1465万7700円 |
メジロマックイーンは日本の競走馬。祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続く父子3代天皇賞制覇を成し遂げた。1994年に顕彰馬に選出されている。兄に1986年の菊花賞を制したメジロデュレンがいる。名前の由来は冠名のメジロとアメリカの名優、スティーブ・マックイーンである。
目次 |
[編集] 戦績
1990年、阪神の新馬戦でデビューし1着。その後3戦続けて惜敗を続ける。9月16日の木古内特別で2勝目を挙げると翌9月23日に連闘で大沼ステークスに出走し連勝する。その後陣営は菊花賞を最大目標に定め、兄のメジロデュレンと同じく嵐山ステークスに出走する。しかし、前が壁になる不利もあってミスターアダムスの2着に敗れる。これにより賞金不足で菊花賞の出走が危ぶまれるが、回避馬が出たことで菊花賞出走にこぎつける。重賞初出走、条件馬であったが、4番人気に支持され、2着ホワイトストーンに1馬身1/4差をつけ優勝した。この時の1番人気は同じメジロのメジロライアンであり、杉本清アナウンサーは「メジロでもマックイーンの方だ!」という実況を残している。
1991年、初戦の阪神大賞典から始動。このレースから内田浩一に替わって鞍上に武豊を迎え、レースも危なげなく勝利し天皇賞(春)に向かう。同レースはメジロライアン、ホワイトストーンとの3強の争いという前評判であったが、単勝1.7倍の圧倒的1番人気に支持され、先行して直線で抜けだし2着のミスターアダムスに2馬身1/2差をつけて父子3代天皇賞制覇を達成した。続く宝塚記念は単勝1.4倍の圧倒的1番人気に支持されるが、メジロライアンの2着に敗れる。
秋初戦の京都大賞典を制す。しかし、続く不良馬場の天皇賞(秋)では、プレクラスニーに6馬身差をつけて1位入線するも、スタート直後に斜行して18位入線のプレジデントシチーの進路を妨害したことで18着に降着となる。GI競走での1着入線馬の降着処分は日本競馬史上初めてのことで、一般紙でも鞍上の武豊の騎乗が大きく取り上げられるなど事件となった。その後はジャパンカップではゴールデンフェザントの4着に敗れ、有馬記念では先行押し切りを図るも15頭中14番人気のダイユウサクの強襲に屈した。
1992年は、前年と同じ阪神大賞典から始動、グレード制導入以後は初となる連覇で優勝して天皇賞(春)に向かう。このレースは、デビュー以来無敗の日本ダービー馬トウカイテイオーとの「世紀の対決」が大きな話題となったが、同馬を5着に下し、史上初の同一天皇賞(春の天皇賞)連覇を達成した(なお、これ以前にも春-秋は1988年にタマモクロス、秋-春は1989年~1990年にスーパークリークが記録している)。また、鞍上の武豊は1989年のイナリワンから天皇賞(春)4連覇となった。しかし、天皇賞(春)を勝った後に骨折が判明し、長期休養を余儀なくされる。
1993年、復帰戦の大阪杯をレコードで勝ち、史上初の天皇賞(春)3連覇に挑む。しかし、前年ミホノブルボンのクラシック三冠を菊花賞で阻んだ「関東の刺客」ライスシャワーに徹底マークされ、直線半ばで交わされて2着に敗れた。次走宝塚記念では見事に勝利を収め、4年連続GI制覇となった。
秋初戦の京都大賞典では2分22秒7という当時のコースレコード(当時ホーリックスが持っていた芝2400mの世界レコードからもわずか0秒5差)で、レガシーワールドに3馬身1/2差をつけ優勝する(レガシーワールドは49日後にジャパンカップを優勝した)。この結果、獲得賞金が史上初の10億円越えとなった。しかし、天皇賞(秋)を前に故障を発症し、そのまま引退。21戦で連対(2着以内)を外したのはわずか3戦であり競走馬生活の最後まで抜群の安定感を保ちつづけた。だがこれだけの安定した成績にも関わらず、年度代表馬に選出された事は一度もない。
[編集] 主な勝鞍
- (GI)菊花賞、天皇賞(春)2回、宝塚記念
- (GII)阪神大賞典2回、京都大賞典2回、大阪杯
[編集] 引退後
競走馬引退後は、社台スタリオンステーションで種牡馬として繋養され、ノーザンダンサーやネイティヴダンサー、ロイヤルチャージャー等といった主流血脈を持っていない異系血統という点では注目される点も多いが、なかなか活躍する産駒は出ておらず、種牡馬成績ではメジロライアンに水をあけられている。
父としては、まだGI優勝馬を出していないが、母の父として朝日杯フューチュリティステークスでGIを制覇したドリームジャーニーを輩出した。偶然にもドリームジャーニーの父ステイゴールドと母父メジロマックイーンは池江泰郎が管理した馬であり、ドリームジャーニーは池江泰郎の息子の池江泰寿が管理している。
2006年4月3日、繋養先の社台スタリオンステーション荻伏で、心不全のため死亡した。北海道伊達市のメジロ牧場に現在、墓が建てられている。
[編集] 主な産駒
- エイダイクイン (クイーンカップ)
- タイムフェアレディ (フラワーカップ)
- メジロサンドラ (大阪-ハンブルクカップ)
- ツジノワンダー(NiLS21ステークス・アイルランドトロフィー、芝2000m日本レコードホルダー)
[編集] エピソード
- 競走馬時代にイクノディクタスに密かに思いを寄せていたというエピソードがあった。1995年にこの2頭の産駒にキソジクイーンが誕生したが、わずかに9回出走しただけで同年末に引退した。
- サンデーサイレンスと仲が良かったらしく、普段は気性の荒いサンデーサイレンスがメジロマックイーンがそばにいるとおとなしくなることが多かったという。そのせいもあってか、繋養先ではサンデーサイレンスとメジロマックイーンが隣同士の放牧地に放牧されていた。
- 長距離のGI競走を多く勝っていることからステイヤーという評価が定着しているが、2000mの天皇賞・秋で二番手以下に圧倒的な差を付けて1位入線しているように、優れたスピードも有していた。主戦騎手を務めた武豊は「マイルチャンピオンシップに出ても勝てる」という発言をしており、その言葉を証明するように種牡馬としては1600~2000mのレースを得意とする産駒を多く輩出した。
[編集] 血統表
メジロマックイーンの血統 (トウルビヨン系/インブリード:なし(アウトブリード)) | |||
父
メジロティターン 1978 芦毛 |
メジロアサマ 1966 芦毛 |
*パーソロン 1960 | Milesian |
Paleo | |||
*スヰート 1951 | First Fiddle | ||
Blue Eyed Momo | |||
*シェリル Cheryl 1971 鹿毛 |
*スノップ 1959 | Mourne | |
Senones | |||
Chanel 1961 | Pan | ||
Barley Corn | |||
母
メジロオーロラ 1978 栗毛 |
*リマンド Remand 1965 栗毛 |
Alcide 1955 | Alycidon |
Chenille | |||
Admonish 1958 | Palestine | ||
Warning | |||
メジロアイリス 1964 黒鹿毛 |
*ヒンドスタン 1946 | Bois Roussel | |
Sonibai | |||
アサマユリ 1959 | ボストニアン | ||
トモエ F-No.7C |
[編集] 外部リンク
日本中央競馬会・顕彰馬 |
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