イビデン
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 503-8604 岐阜県大垣市神田町2丁目1番地 |
電話番号 | 0584-81-3111 |
設立 | 1912年11月25日 |
業種 | 電気機器 |
代表者 | 岩田義文 |
資本金 | 627億7,900万円 |
決算期 | 3月 |
関係する人物 | 立川勇次郎(創業者) |
外部リンク | http://www.ibiden.co.jp/ |
イビデン株式会社は岐阜県大垣市に本社をおくプリント基板などの電子関連製品、セラミックス製品などを扱う企業。当初は電力事業を行う会社として創業、時代とともに電気化学事業、電気機器事業へと事業分野を移してきた。一時期、電気鉄道(現在の近畿日本鉄道養老線)を経営していたこともあった。 かつてはカーバイド、窒素肥料、メラミン樹脂、化粧板、建材等を生産していたため、東証上場時は化学メーカーに分類されていたが、1994年、電気機器メーカーに変更された。ロゴマークがIBMに似ている。トヨタグループ、特に豊田自動織機との関わりが深く、協豊会(トヨタ自動車の部品サプライヤーの任意団体)の一員である。
目次 |
[編集] 沿革
- 1912年(大正元年)11月25日:揖斐川電力株式会社として創業。
- 1916年(大正5年)6月:西横山発電所完成(横山ダム建設により運用終了、水没)
- 1918年(大正7年)12月:揖斐川電化工業、東海電化工業、日本電気製鉄所と合併、揖斐川電化株式会社に社名変更。
- 1921年(大正10年)2月:揖斐川電気株式会社に社名変更。
- 1921年(大正10年)6月:東横山発電所完成
- 1922年(大正11年)6月:養老鉄道を合併。
- 1923年(大正12年):養老線の電化完了。
- 1925年(大正14年):初代社長である立川勇次郎の死去により、桜内幸雄が社長に就任。
- 1926年(大正15年):田中徳次郎が社長に就任。東邦電力(現中部電力の前身)の傘下に入る。
- 1928年(昭和3年)5月:鉄道事業を養老電気鉄道へ分離譲渡。田中徳次郎が社長を辞任。しばらくは社長不在の時期が続く。
- 1940年(昭和15年):揖斐川電気工業に社名変更。
- 1942年(昭和17年)4月:電力管理施行令により、電力供給事業から撤退。発送電設備は、日本発送電・中部配電(現中部電力)に現物出資(川上発電所・広瀬発電所・東横山発電所は、現在も自家用発電所として運用中)。
- 1949年(昭和24年):東証1部、名証1部に上場
- 1982年(昭和57年)11月:イビデン株式会社に社名を変更
- 2005年(平成17年)新本社ビル完成。名証2部上場のイビデングリーンテックを株式交換により完全子会社化。建材事業部をイビデン建装販売株式会社と統合。建材事業部をイビデン建装株式会社に移管。
[編集] 事業場
- 大垣事業場(大垣市木戸町)
- 青柳事業場(大垣市青柳町)
- 河間事業場(大垣市河間町)
- 大垣北事業場(岐阜県揖斐郡揖斐川町)
- 衣浦事業場(愛知県高浜市)
- 大垣中央事業場(大垣市笠縫町) 2007年4月完成
養老電気鉄道を経営していたため、現在でも発電所からの送電線の一部が近鉄養老線の線路敷地を利用している。また、大垣、青柳、河間事業場には、養老線からの貨物引き込み線があり、昭和40年代まで使用された。特に大垣事業場には2000年頃までは線路や貨物積み込み施設等が完全に残っていたが、現在は完全に撤去された。なお、近鉄美濃青柳駅の構内には、青柳事業場、及び神鋼造機へ向かった引き込み線の名残がある。更に神鋼造機構内には当時のプラットホームが現存している。
[編集] 事業
- プリント配線板製造
- 同社はプリント配線板の製法としてサブトラクティブ法のほか、独自のアディティブ工法によるプリント配線板製造技術「AAP/10」を開発、採用している。フルアディティブ工法は銅パターンとレジスト厚の差が少なく、表面がフラットな仕上がりであり、日立化成や日立エーアイシーのCC-41工法と並んでフルアディティブ工法を採用する代表的な企業である。
- ビルドアップ工法においても「AAP/10」を応用した技術を採用している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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