イベリア人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イベリア人(Ibero)は先史、古代からイベリア半島に住んでいた前インドヨーロッパ人(Pre-Indo-European)の人々を指す。
[編集] イベリア人の起源
西ヨーロッパ巨石文明の人々、子孫(遺伝学的に証明されている)。ケルト人に紀元前1000年紀に征服されたアイルランド、ブリテン、フランスの人々と同じで、アルカディア人、ピクト人、イタリアのエトルリア人などと同じ、前インドヨーロッパ人に属する。
紀元前3000年期(紀元前4000年近く)地中海東部、或は北アフリカから来たとされる。よって最初にスペイン東部沿岸に定着し、イベリア半島地域に分布したと考えられる。しかし考古学的証拠は無い
イベリア人は部族ごとに住み、青銅技術、農業、金属加工術を持っていた。後に更に都市化した文化になった。金属(製品)をフェニキア人、ギリシャ人、カルタゴ人と貿易していた。
[編集] 外部からの影響
ケルト人は紀元前1000年紀に2度に渡ってスペインを訪れ、イベリア人が南部に住む一方、ケルト人は北部と西部に定住した。その結果、中央部で文化がミックスされた、ケルト・イベリア文化 "Celtiberian" が生まれ、東部沿岸にも広まった。イベリア人、ケルト・イベリア人は地中海広範囲に渡って貿易を行った。イベリア陶器はフランス、イタリア、北アフリカで見つかっている。
ギリシャの文化も多く学び、"Lady of Baza" , "lady of Elx" 像はギリシャの芸術様式の影響が顕著に見える
イベリア人とケルトイベリア人は第1次ポエニ戦争の後しばらくしてからカルタゴに支配され、第2次ポエニ戦争ではハンニバルの軍勢に兵隊を送った。この後カルタゴにかわってローマの勢力が入りこんだ。ローマは第一次ケルティベリア戦争、ヌマンティア戦争など幾たびもの戦争を通じて支配を広げ、1世紀までかかって全域をローマの属領にした。