インドの核実験 (1998年)
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1998年に行われたインドの核実験は、インドのラジャスタン州のポカランで行われた5月11日と13日に計5回行われた。この一連の核実験はシャクティ作戦とも呼ばれる。
[編集] 概要
インドは、1974年に核実験(インドの核実験 (1974年)参照)を行っているが、その後は核実験を行ってこなかった。
1998年に入り、インドに安全保障政策について強硬な態度をとるバジパイ政権が成立し、またパキスタンが弾道ミサイルの発射実験を行うなど、印パ双方で緊張が高まっていた。そのため、パキスタンへの示威効果を目的にインドは核実験を行った。
実験装置はバーバ原子核研究センター(Bhabha Atomic Research Center,BARC)を中心に製造され、必要なプルトニウムはインド国内で生産されたと見られる。1974年の実験は、平和目的を称していたものの、1998年の実験は軍事目的とされていた。
実験は水素爆弾を含み、5月11日に3回、5月13日に2回行ったとインド政府は発表している。実験場所は1974年と同じくラジャスタン州の砂漠にあるポカラン試験場であり、全ては地下で行われた。爆発の最大規模は地震計により最大12ktと推定されている。
なお、パキスタンもこれに対抗し1998年5月28日に30日に核実験を行っている。
[編集] 国際機関と各国の反応
実験後、国連、国際原子力機関が非難声明を出したが、そもそもインドもパキスタンも核不拡散条約、包括的核実験禁止条約に署名しておらず、国際的な核実験禁止制限が課せられていない状態であった。このため、日本、米国をはじめとした各国が単独でインド、パキスタン両国へ経済制裁を課すなどの動きを見せたが、米国で2001年に同時多発テロが発生すると、アフガニスタンのタリバンへの報復の足がかりに地理的に重要な位置を持つパキスタンが積極的に米国のテロとの戦いを支持したため、米国はパキスタンへの経済制裁を解除し、またこれに併せてインドへの制裁も解除することとなった。