インド人民党
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Template:政党名 = インド人民党 インド人民党(インドじんみんとう、英語:Bhāratīya Janatā Party, ヒンディー語:भारतीय जनता पार्टी)は、インドの政党である。元のジャナタ党(1977年)はヒンドゥー至上主義者と社会主義者が反インド国民会議(コングレス)で一致した野合政党であったため、「ヒンドゥットゥヴァに基づくジャナタ党」として再建されたのが、現在のインド人民党である。
シヴ・セーナーと比較すれば極めて穏健であり、政教分離・アファマーティブ・アクション・隣国パキスタンとの融和などを否定しない。1998年から2004年までの人民党政権では中華人民共和国を戦略的パトーナーと呼び、初の共同演習や首相の訪中などを実現させ、敵視しているイスラム圏であるにも関わらず、イラク戦争には反対するなどアメリカ合衆国のプレゼンスを牽制する向きがある。汚職問題、米印原子力合意問題ではインド共産党と歩調を合わせており、共産党とは連立したこともある。大統領には無党派のアブドゥル・カラームを支持している。
インドでは独立以来国民会議派が一党優位制を維持してきたが、各地での地域政党の勃興、党内汚職、インディラ・ガンディー時代の強権政治への不信感などにより1970年代より国民の支持を次第に失っていった国民会議を横目に、着実に支持基盤を広げていった。1984年のローク・サバー(下院)総選挙では2議席にとどまったが、1989年には一挙に85議席を獲得し躍進、当時のジャナタ・ダル主導の連立政権に共産党などと連携して参加。1991年の同総選挙でも120議席に前進、1996年総選挙ではついに161議席を獲得して第一党となり党の有力政治家アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー(バジパイ)が首相に就任。だが、この時は大統領から組閣を要請されたものの反対勢力の結束・抵抗によって失敗、わずか13日で政権の座を下りる事になった。 しかし1998年の総選挙で再び最多議席となる182議席を獲得、今回は他の政党と連立協力に成功し、国民民主連盟(National Democratic Alliance:NDA)連立政権の中核としてヴァージペーイー首相のもと中央政治のトップに上り詰めた。政権掌握後の同年に核実験を実施し世界中を驚かせた。 このBJP主導の連立政権下で、それ以前の1991年ナラスィンハ・ラーオ国民会議政権時代から当時のマンモハン・シン財務相の下で本格的に開始された経済自由化政策が積極的に推し進められた。しかし、2004年には経済発展に沸くインドを謳った"India Shining"をスローガンにキャンペーンを大々的に全国で行ったものの、大方の予想に反し同年の総選挙でソニア・ガンディー率いるインド国民会議を中心とした統一進歩連盟(United Progressive Alliance:UPA)に政権を奪われるに至った。自由化の恩恵が未だ行き渡らないまま"India Shining"のようなキャンペーンを展開したことで、かつてBJP支持層であった国民の予想以上の支持離れを招いたものとみられている。 現在の党総裁はラージナート・シン。
[編集] 外部リンク
- BJP公式サイト(英語)
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