ウィル・ライト
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ウィル・ライト(Will Wright、1960年1月20日 - )はアメリカのゲームクリエイター。
シムシリーズの生みの親として知られ、斬新な視点でシミュレーションゲームを常に作り出すクリエイターとして世界中にファンが多い。
[編集] 略歴
1960年、ジョージア州アトランタに生まれ、9歳まで過ごす。父親の死とともに、母親の故郷であるルイジアナ州バトンルージュに移り住む。
高校卒業後、ルイジアナ州立大学に入学。その後さらにルイジアナ工科大学、The New Schoolと籍を移す。機械工学を学ぶが、5年間の大学生活ではコンピュータとロボット工学に熱中し、学位は取得しなかった。また、やがて妻となるジョエル・ジョーンズと知り合う。
ブローダーバンド社にデザイナーとして勤め、1984年、コモドール64向けのヘリコプターゲーム『バンゲリングベイ』の開発に携わった。これがライトの事実上のデビュー作と言われる。
その開発中にゲーム用地形マップの制作に面白さを見いだしたライトは、開発用のマップ生成ツールに改良を加え『シムシティ』の原型となる都市開発シミュレータを組み上げる。1987年、ゲーム産業に関心を寄せていた投資家ジェフ・ブラウンと共同でマクシスを設立。1989年に『シムシティ』を発売し大ヒットを記録した。
シムシティでの成功に続き、シムアース、シムアントを発売。1995年にはマクシスは年間3800万ドルの収益を上げるまでになり、株式を公開した。この頃ライトは、90年代はじめから温めていた「バーチャルドールハウス」すなわち現在のシムピープル構想の開発に取りかかろうとしていたが、同時期にマクシスはエレクトロニック・アーツに買収される。元マクシス社員の40%が解雇され、当初実現は困難を極めた。
2000年にThe Sims(邦題: シムピープル)が発売され、ベストセラーコンピュータゲームとなる。2001年には国際ゲーム開発者協会によるGame Developers Choice Awardsを受賞、また2002年にはゲーム業界への功労者を対象とした5人目のAIAS殿堂となる。この2つの栄誉を同時に手に入れた最初の人物となった。(なお、後にリチャード・ギャリオット、宮本茂の両氏も達成。)
タイム、Entertainment Weekly、PC Gamer、GameSpyなどの各誌からは、ゲーム、テクノロジ、エンタテインメントにおける最も重要な人物の一人であると評されている。
2005年3月11日にゲーム開発者会議でSporeの構想を発表。現在その制作の指揮を執っている。
[編集] ウィル・ライトの作品一覧
[編集] Dr.ライト
任天堂版の『シムシティ』シリーズには、市長の助役としてウィル・ライトをモチーフにしたDr.ライト(ドクターライト)というキャラクターが登場し、プレイヤーにアドバイスを与える。Dr.ライトはその後、シリーズとは無関係な任天堂作品である『ゼルダの伝説 夢をみる島』や『大乱闘スマッシュブラザーズDX』にも脇役として登場し、任天堂キャラクターの一員として扱われている。
同名のゲームキャラクターとしてはロックマンシリーズに登場する者が有名であるが、両者は全く無関係である。