エイブ・レルズ
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エイブ・"キッド・トゥイスト"・レルズ (Abe "Kid Twist" Reles、1906年 - 1941年11月12日) はニューヨークのギャングで、マーダー・インクの殺し屋として最も恐れられた人物である。本名エイブラハム・レルズ(Abraham Reles)。あだ名は、20世紀初頭に暗躍したギャングマックス・ツヴェルバッハのあだ名にちなむとも、彼の好きだったキャンデーの名にちなむともいう。
ニューヨークのブルックリン・ブラウンズビルで、オーストリア出身のユダヤ人の両親の間に生まれる。長じて犯罪に手を染め、1920年代にはブルックリンで強請りを行っていたシャピロ兄弟の配下となった。シャピロの指示で行った微罪で2年服役し、出所すると友人マーティン・"バグジー"・ゴールドスタイン、ジョージ・デフェオらと共にブルックリンで違法スロットマシン業を始めた。その際、デフェオのコネでマイヤー・ランスキーと縄張り協定を結び、その庇護のもとに繁盛した。しかしそれは、シャピロ兄弟の逆鱗に触れることとなり、彼らから命を狙われることとなる。
1932年、レルズとゴールドスタインはシャピロ兄弟に誘い出されたところを銃撃されて負傷。その上、レルズの恋人が誘拐・レイプされた。怒りに燃えたレルズは復讐のため、フランク・アッバンダンドやハリー・マイオーンら仲間を集め、シャピロ兄弟に宣戦布告。そして、最終的にアーヴィング、マイヤー、ウィリアムのシャピロ3兄弟を次々と殺害した。対シャピロ抗争のために結成されたレルズの一味はブルックリン・インクと呼ばれ、後のマーダー・インクの前身となる。
マーダー・インク発足後はアイスピックを使って数百人の殺害に関与した。その手口は巧妙だったため、犠牲者の多くが病死として処理されたという。
1941年に麻薬取締法違反、住居侵入、暴行、強盗、殺人の容疑で捕まり、自分の減刑と引き換えにボスのルイス・"レプケ"・バカルターと配下の部下たちの犯罪について洗いざらい話す。それが原因でレプケと殺し屋の多くが後に死刑になった。その後、レルズはコニーアイランドのハーフ・ムーン・ホテルで24時間警察に護衛を受けたが、アルバート・アナスタシアへ当局の追求が及んだ直後の11月12日にホテルの6階から転落死という謎の死を遂げた。一部ではレプケの仲間が警察を買収したのではないかという噂が流れ、首謀者はフランク・コステロではないかとも言われた。
ニューヨーク・クイーンズ区グレンデールのマウント・カーメル墓地に埋葬されている。
[編集] 外部リンク
- FBIの捜査資料
- Brooklyn, Inc. - crimelibrary.com
- レルズの墓 - findagrave.com