オジェ・ル・ダノワ
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オジェ・ル・ダノワ(デンマーク語:Holger Danske、フランス語:Ogier le Danois, Ogier de Danemarche)は、中世フランスの武勲詩『ドーン・ド・マイアンス(Doon de Mayence)』に登場する伝説上の英雄である。デンマークではホルガー・ダンスクの名で親しまれている。なお、フランス語の呼び名に含まれる「ル・ダノワ」や「ダーヌマルシュ」は、デンマークではなくアルデンヌの所領に由来するとされる。
伝承によると、オジェ・ル・ダノワは、デンマーク王、ゴズフレズの息子であった。『オジェ・ル・ダノワの騎士道』によれば、オジェ・ル・ダノワはシャルルマーニュの息子シャルロに我が子を殺されたため、シャルロへの復讐を誓い、大帝の命をも奪おうとした。その後7年にわたってオジェ・ル・ダノワはシャルルマーニュに抵抗したが、『ローランの歌』にもあるようにサラセン人との戦いでは王に味方し、サラセンの長で巨躯のブレフスを倒した。
アーサー王やバルバロッサがそうであるように、ヨーロッパには英雄的な主人公が山や洞穴に入り、復活の時まで眠り続けるという伝説があるが、オジェ・ル・ダノワの場合にも、ヘルシンオアのクロンボー城の地下に眠り、デンマークの危機には目を覚まして人々を救うという伝承がある。このことからクロンボー城地下には、長いあごひげの武人の姿で眠るオジェ・ル・ダノワの像がおかれている。オジェ・ル・ダノワの最期については、魔女モーガン・ル・フェイがアヴァロンへ彼を連れて行ったという言い伝えも残っている。
1534年にペデルセン(Christian Pedersen)がデンマーク語でオジェ・ル・ダノワの伝説を本にまとめ、ホルガー・ダンスクの年代記として出版したことにより、この伝承がデンマークの人々に知られることとなった。デンマークではアンデルセンの童話や、クンツェン(F.L.Æ. Kunzen)のオペラに『デンマーク人ホルガー』があり、またインゲマン(Bernhard Severin Ingemann)の詩にゲバウアー(Johan Christian Gebauer)が曲をつけた歌もよく知られている。このほか、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領に抵抗したデンマークのレジスタンスには「ホルガー・ダンスク」の名の下に活動を行なったグループがあった。
オジェ・ル・ダノワは、トランプのスペードのジャックの人物とされる。アメリカの作家、ポール・アンダースンの『魔界の紋章』もオジェ・ル・ダノワの伝承を下敷にしている。