カウンテスアップ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1981年6月6日 |
父 | フェートメーカー |
母 | カウンテスドレスアップ |
生産 | 渕瀬健一 |
生国 | 日本(北海道新冠町) (現:新ひだか町) |
馬主 | 佐橋五十雄 |
調教師 | 千葉忠一(岩手) →福永二三雄(大井) →後藤保(愛知) →赤間清松(大井) |
競走成績 | 41戦29勝 |
獲得賞金 | 305,890,000円 |
カウンテスアップ(Countess Up)は日本の競走馬。1980年代の地方競馬の名馬の1頭である。東北・南関東・東海の3地区に渡って一線級の活躍を見せた。
目次 |
[編集] 出自
父フェートメーカーはアメリカの名馬スワップス(Swaps)の仔で、当時としては珍しい外国産馬として地方競馬の南関東で出走したが大成はしなかった。種牡馬としてはカウンテスアップの他にフェートノーザン、リバーストンキング、カズノタンポポなど地方競馬の活躍馬を出したが、芝コースを苦手としたため中央競馬の活躍馬はほとんどいなかった。
半姉フドウゴールドもしらさぎ賞の優勝馬で、その孫にオリオンザサンクスがいる。
[編集] 戦績
馬齢は2000年まで旧表記。
当初は岩手競馬に所属。旧3歳の1983年8月、盛岡競馬場でのデビュー戦は2着だったが、その後は年を挟んで11連勝。1戦2着を挟んだのち特別戦を勝って上山競馬場の東北優駿へ駒を進める。岩手競馬・上山競馬・公営新潟競馬が持ち回りで行っていた競走で東北地方のダービーである(新潟開催の時は東北ダービーの名称に変わる)。迎え撃った新潟の名馬グレートローマンを2着に退け、東北3歳馬の頂点に立った。その後も連勝を重ね、暮れの岩手競馬の有馬記念相当の競走である桐花賞も古馬相手に勝ち、岩手ナンバーワンとなった。
現在ならば地方競馬でも岩手に所属したまま南関東や中央競馬の大レースを狙えるが、当時は移籍しなければならなかったため賞金の高い南関東の大井に移籍することとなった。岩手競馬での戦績は18戦16勝。
年が明けて旧5歳となり、1985年1月、大井競馬場の特別戦で転入緒戦を飾り、続く川崎記念も優勝するが、当時の南関東はテツノカチドキ、ロッキータイガーなど粒も揃っており、その後は3連敗したため、今度は東海地方競馬の愛知に移籍することとなった。南関東での戦績は5戦2勝。
愛知で待ち受けていたのはグレートローマンであった。彼も新潟から賞金の高い愛知に移籍していたのであった。転入緒戦のゴールド争覇は中京競馬場の芝コースということもあり、2頭揃って惨敗したものの、ダートに戻ってからは再びグレートローマンと名勝負を繰り広げた。東海菊花賞、名古屋大賞典を含む3連勝でこの年を終え、再び南関東に戻ることになった。愛知での戦績は4戦3勝。
旧6歳となった1986年は前年と同じようなローテーションで3連勝するも、同年から中央地方全国交流競走となった帝王賞では南関東の伏兵トムカウントの3着同着(デッドヒート)に敗れた。次の大井記念も4着だったが、報知オールスターカップを勝って、中央競馬のオールカマーに駒を進めたが芝は苦手だったため7着に敗れた。その後は60kgを超える斤量となり、苦しいレースが続いたが、56kgで出走できた暮れの東京大賞典を優勝した。
翌1987年も緒戦の川崎記念を優勝したが(3連覇)、2戦目の帝王賞はテツノカチドキの3着に終わり、引退した。2度目の南関東での戦績は14戦8勝。
[編集] 競走成績
- 旧3歳時(1983年) - 7戦6勝。
- 旧4歳時(1984年) - 11戦10勝。桐花賞、東北優駿、不来方賞。
- 旧5歳時(1985年) - 9戦5勝。川崎記念、名古屋大賞典、東海菊花賞。
- 旧6歳時(1986年) - 12戦7勝。東京大賞典、川崎記念、金盃、報知オールスターカップ。
- 旧7歳時(1987年) - 2戦1勝。川崎記念。
- 通算成績:地方競馬40戦29勝・中央競馬1戦0勝
[編集] 種牡馬
引退後は種牡馬となったが、目立った産駒は残せなかった。ブルードメアサイアーとしては黒潮盃を勝ったキョウエイプライドがいる。この時に乗っていたのはカウンテスアップの南関東時代の主戦騎手だった的場文男だった。