外国産馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
外国産馬(がいこくさんば)とは、外国で生まれ、外国で出走する以前に日本の馬名登録を受けた馬である。出走表上では「マル外」(○の中に「外」)で表記される。ただし、種付けのため外国に一時的に輸出された牝馬が輸出される前に日本で種付けして受胎している場合で、外国で生まれた仔馬を当歳の12月31日までに輸入したときは内国産馬となる。また、種付けのため外国に輸出された牝馬が受胎して帰国して出産した場合や、外国産の牝馬が受胎した状態で日本に輸入され、日本で出産した場合は持込馬とされ、現在は内国産馬の扱いとなる。
外国馬(外国で生まれ、すでに外国で出走している外国競走馬、□の中に「外」)とは区別される。
日本の競馬界はかつては閉鎖的で、外国産馬の出走には厳しい制限が加えられていた。これは、特に北海道に多い国内産競走馬生産の保護・流通の観点があったためとされ、長らく日本の競走馬生産関係者からはマル外の出走に反対した傾向が強かったとされる。
その後徐々に制限は緩和されてきたが、現在でも中央競馬やホッカイドウ競馬では出走が可能な競走はまだ限られている。中央競馬では混合競走(○の中に「混合」)と国際競走(○の中に「国際」)とされている競走が産地に一切の制限なく出走可能な競走である(クラシックは制限枠付での出走可能なので混合競走ではない)。なお、混合競走と国際競走の両方を併記する競走は存在しない(条件が重複する為)。
目次 |
[編集] 日本のクラシック・天皇賞における出走制限
日本のクラシック(秋華賞や、その前身である旧エリザベス女王杯(現在は古馬にも開放)は、英国競馬のクラシック競走に範を取った競走ではないため、クラシック競走には位置づけられていない。)はかつては一切外国産馬の出走を認めない競走であった。天皇賞は勝ち抜け制度がある代わりに外国産馬も出走できたが、1971年6月30日から実施された活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い、1971年秋の天皇賞から外国産馬は出走できなくなった。しかし、海外からの市場開放圧力や、「強い馬同士の対決が見られない」とのファンの声に圧されて、2000年より段階的に、制限付きながら出走を認められた。天皇賞については2005年から国際競走になったため外国産馬の出走制限は撤廃されている。
[編集] 日本のクラシック5競走
日本のクラシック5競走については以下のように外国産馬の出走枠の制限が行われている。現在でも出走枠に制限があることから混合競走とはされない。トライアル競走は重賞競走でない競走(アネモネステークス、若葉ステークス、スイートピーステークス、プリンシパルステークス)を除き、開放された年にあわせて対応するトライアル競走が混合競走に変更された。
- 2001年 東京優駿(日本ダービー)、菊花賞が各2頭まで出走可能(優先出走権は認められない)。
- 2002年 皐月賞が2頭まで出走可能。菊花賞は3頭まで拡大。
- 2003年 優駿牝馬(オークス)が2頭まで出走可能に。
- 2004年 桜花賞が2頭まで出走可能に。
- 2005年 上記5競走いずれも各4頭まで出走可能になる。この年より、トライアル1競走ずつ優先出走権が認められるようになる(下記参照)。
- 2006年 それぞれ5頭に拡大。
- 2007年 それぞれ6頭に拡大。あわせて優先出走権が認められる競走が2競走ずつに拡大(下記参照)。
- 2008年(2004年に発表した「平成17年以降の競馬番組上の外国産馬の取扱いについて」に基づく予定)で7頭に拡大される予定。
出走馬の選定は、優先出走権を持っている馬、内国産馬を含めた収得賞金順で、制限頭数以内である。内国産馬を含めた順位付けで下位となった場合は制限頭数に満たさなくても除外される。2001年から2004年までは外国産馬は優先出走は認められてこなかった(ただし内国産馬に優先出走権が認められるトライアル競走には外国産馬も出走は可能)が、2005年以降、下記の競走で優先出走が認められることとなった。競走によって認められるようになった年度が異なる。優先出走権所有馬で制限頭数を超過した場合は、優先出走権を持っている競走馬の中で収得賞金順上位馬から制限頭数内で出走でき、制限頭数からはみ出した競走馬は優先出走権を持っていても除外される。一部のトライアル競走は収得賞金が0の馬も出走可能であるが、収得賞金が0の馬はトライアル競走で収得賞金を得なければ、優先出走権を取得できない。
本競走 | トライアル競走 | 対象 | 対象年度 |
---|---|---|---|
桜花賞 | チューリップ賞 | 3着以内 | 2007年~ |
フィリーズレビュー | 3着以内 | 2005年~ | |
皐月賞 | 弥生賞 | 3着以内 | 2007年~ |
スプリングステークス | 3着以内 | 2005年~ | |
優駿牝馬 | 桜花賞 | 4着以内 | 2007年~ |
フローラステークス | 3着以内 | 2005年~ | |
東京優駿 | 皐月賞 | 4着以内 | 2007年~ |
青葉賞 | 3着以内 | 2005年~ | |
菊花賞 | セントライト記念 | 3着以内 | 2007年~ |
神戸新聞杯 | 3着以内 | 2005年~ |
[編集] 天皇賞
天皇賞は以下のように外国産馬の出走枠が拡大され、2005年より国際競走となり出走制限が撤廃されている。なお優先出走ではない為、内国産馬を含めた出走馬の選定基準において、下位となった場合は除外される。
- 2000年 春秋ともに2頭まで。
- 2002年 原則2頭。ただし内国産馬と外国産馬2頭を含めて最大出走可能頭数に満たさない場合に限り、さらに2頭(合計4頭)まで出走可能。
- 2004年 出走頭数に関係なく春は4頭、秋は5頭まで出走可能。
- 2005年 国際競走となり外国産馬の出走制限は撤廃。外国調教馬も5頭以内で出走可能となる。
[編集] 日本で活躍した外国産馬
[編集] グレード制導入前
1950年代初頭、壊滅状態にあった日本の競馬を立て直すため、1952年の競走馬輸入解禁と同時にアメリカ・オーストラリア・ニュージーランドからかなりの頭数のサラブレッド(数え3歳馬を含む)が輸入され、1950年代半ばには外国産馬が大活躍した時期もあった。初お目見えの年となった1952年暮れの朝日杯3歳ステークスでは7頭中4頭出走した外国産馬が後にクモハタ記念を勝ったイチジヨウ(クリフジの仔)らを圧倒、1着・3~5着を独占しいきなりその能力を見せつけた。一時は下級条件で外国産馬限定のレースが組まれていたこともあるほどである。しかし外国産馬が出走できる重賞(混合戦)は限定され、今で言うG1競走に相当するものでは天皇賞と宝塚記念・有馬記念(もちろん選出が必要)のみに限られていた。
1960年代に入ると、外国産馬は年間輸入頭数が制限されていたこともあって繁殖用の馬の輸入が優先され、外国産競走馬の数は減っていった。その上1971年6月30日から実施された活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い、国産馬保護のため混合戦が更に減らされ(天皇賞も混合戦から外された)、外国産種牡馬や種牝馬は頻繁に輸入されるようになったが、外国産競走馬はさらに少なくなった。しかしこの頃から社台ファームやシンボリ牧場などの海外に目を向けた生産者が厳選した競走馬を輸入し、出走レースが限られた環境ながらも高い能力を見せた馬が数頭いた。
外国産馬は引退後の繁殖馬としての価値を見越して輸入されることが多く、牝馬の方が多かった。1952年に輸入された馬の仔からはダイコーター、トーストなどが活躍、孫の代にタケシバオーやラッキールーラ(トーストの仔)など多くの活躍馬を輩出し、現在に至るまで活躍馬を出し続けている牝系は多い。
- サンゲツ
1952年朝日杯3歳ステークス等 - オパールオーキツト
1954年天皇賞(秋) - オーストラリア産。最初に天皇賞を制した外国産馬 - ロイヤルウツド
1954年・1955年鳴尾記念、1954年目黒記念(秋) - オーストラリア産。オーナーは永田雅一。 - ミツサクラ
1955年阪神記念 - ニュージーランド産。ジャンボキングの母の父 - フアイナルスコア
1954年京都記念(春・秋)、1956年阪神記念等。トウカイテイオーの4代母トツプリユウの父 - ヤサカ
1955年朝日チャレンジカップ、1955年・1956年京都盃等 - ニュージーランド産。種牡馬としてカネツセーキらを輩出。シルバーランドの母の父 - カバーラップ二世(競走名セイカン)
競走馬としては振るわなかったが、種牡馬としてリユウズキ・ワカクモ・カシュウチカラ・プリテイキャストらを輩出 - サスケハナ
1955年毎日王冠 - アメリカ産。4歳(数え)時月3~4戦ペースで32戦(11勝)という無茶苦茶な使われ方をしていた。同世代の桜花賞馬ヤシマベル、オークス馬ヒロイチを押しのけ最優秀4歳牝馬に選ばれる。最後は1956年秋の天皇賞で故障発生して引退するが、現在まで子孫は繁栄している。 - ブレツシング
1955年クイーンステークス、1958年スプリングハンデ、1959年CBC賞(オープン特別) - アメリカ産。8歳(数え)まで走り17勝を挙げる。産駒は1頭しか残せなかった。1977年小倉大賞典の勝馬アランフェスの祖母 - ミツドフアーム
1956年天皇賞(秋) - オーストラリア産。種牡馬になったが繁殖能力がなかった。 - サールス
1957年京都記念(秋)等 - ニュージーランド産 - マツフジエース
1974年朝日杯3歳ステークス - スピリットスワプス
1976年きさらぎ賞 - TTGの同期。デビューから9連続連対した快速逃げ馬。 - ギャラントダンサー
1977年朝日杯3歳ステークス - ギャラントマンの直仔。社台ファームがノーザンテーストと同等の期待を掛けて輸入した。フランスに遠征するも故障のため出走ならず、1走も出来ずに帰国。海外再挑戦を目指すが宝塚記念の調教中に骨折、治療の甲斐なく安楽死となる。 - タクラマカン
第1回ジャパンカップに出走
マルゼンスキー(1976年朝日杯3歳ステークス優勝)は持込馬であったが、当時の規定で外国産馬とほぼ同様の規定が用いられていた。
[編集] グレード制導入後
- パーシャンボーイ
1986年宝塚記念 - グレード制導入後最初にG1を制した外国産馬 - リンドシェーバー
1990年朝日杯3歳ステークス - ヒシアマゾン
1993年阪神3歳牝馬ステークス、1994年エリザベス女王杯等 - ダンツシアトル
1995年宝塚記念 - グラスワンダー
1997年朝日杯3歳ステークス、1998年・1999年有馬記念・1999年宝塚記念等 - エルコンドルパサー
1998年NHKマイルカップ、1998年ジャパンカップ等 - タップダンスシチー
2003年ジャパンカップ、2004年宝塚記念 - アグネスデジタル
2000年マイルチャンピオンシップ、2001年天皇賞(秋)、2002年フェブラリーステークス、2003年安田記念等 - メイショウドトウ
2001年宝塚記念、日経賞等 - クロフネ
2001年NHKマイルカップ、2001年ジャパンカップダート等 - シンボリクリスエス
2002年・2003年天皇賞(秋)、2002・2003年有馬記念等
日本では長らく外国産馬のクラシック出走が認められなかった背景もあり、まだ外国産馬がクラシックを制するまでに至っていない。また天皇賞(秋)は外国産馬の出走が認められて以降、アグネスデジタルとシンボリクリスエスが制覇している。ただし天皇賞(春)の優勝馬はまだ出ていない。