カナメプロダクション
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カナメプロダクションは、1980年代に存在した日本のアニメ制作会社。
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[編集] 概要
葦プロダクションの若手スタッフを中心に1982年に設立。作画の魅力で語られることの多い新興プロダクションであった。
テレビアニメシリーズは『プラレス3四郎』のみだったが、人気クリエイターを多数抱え、1980年代初頭の金田伊功の影響下にあるアクションと、いのまたむつみのキャラクターデザインがアニメファンの注目を浴びた。黎明期のOVA(オリジナルビデオアニメ)に関わったことで、アニメ雑誌ではその規模以上に存在感を示した。
[編集] 略歴
1982年に葦プロダクションで制作プロデューサーを務めていた相原義彰、編集と脚本家をしていた武上純希、アニメーターの影山楙倫やいのまたむつみといった若手スタッフの7人が独立して結成。独立当初は、国際映画社の『魔境伝説アクロバンチ』、土田プロの『さすがの猿飛』に参加。既にこの頃から、いのまたむつみはスポットを浴びる存在になっていた。同年に金田伊功の漫画『バース』、モンキーパンチ原作の『メカベンジャー』のテレビアニメ企画を提出するも頓挫。しかし1983年には旭通信社と東宝の共同製作の下、初の自社制作テレビアニメ『プラレス3四郎』を放映開始。監督には葦プロダクション時代から付き合いがあり、監督作を多く任された湯山邦彦が起用された。
1984年、テレビアニメ企画だった『バース』をOVAとして制作したのを皮切りに、OVA市場でオリジナル企画作品に意欲を燃やす。東宝の資本で制作した『幻夢戦記レダ』(1985年)、アニメショップあいどると共同製作し、『プラレス3四郎』の脚本家・藤川桂介に原作を仰いだ『ウインダリア』(1986年)と意欲作を連発。いずれも、いのまたむつみのキャラクターデザインと湯山邦彦の監督による作品だった。
草創期のOVA市場でその地位は揺るぎなきものと思われたが、OVA市場の飽和に伴いユーザーの目は次第に他社へ移り始めていた。いのまたむつみがアニメーターからイラストレーターへと活動の場を移し始めたのも、この頃である。事実、イメージレコードが発売された『幻夢戦記レダ2』はあえなく製作中止となり、1988年にはディーバと社名を変更して発表したOVA『ワット・ポーとぼくらのお話』も一旦離れたユーザーの目を再び向けるには至らず、まもなく会社は不渡りを出し活動を停止。10年に満たない社歴に幕を下ろすこととなった。
[編集] 在籍者
[編集] 主要作品
[編集] 自社制作
- プラレス3四郎(1983年~1984年)
- バース(1984年)
- 幻夢戦記レダ(1985年)
- バビ・ストック(1985年)
- 夢次元ハンターファンドラ(1985年~1986年)
- ウインダリア(1986年)
- ザ・ヒューマノイド(1986年)
- ワット・ポーとぼくらのお話(1988年)
[編集] 制作協力
- 魔境伝説アクロバンチ(1982年)
- さすがの猿飛(1982年)
- 北斗の拳(1985年)
- 機動戦士ガンダムΖΖ(1986年)
- のらくろクン(1987年~1988年)
- きまぐれオレンジ☆ロード(1987年)