土田プロダクション
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土田プロダクション (つちだプロダクション)とは、かつて存在していたアニメ制作会社である。
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[編集] 概要・沿革
放送動画出身の土田治が、スタジオユニ(現存のアニメ美術会社・スタジオユニ(現:ユニ)とは別)を退社後、作画・演出・仕上げの下請制作会社として1976年に創立。設立当初は、『ドカベン』等の日本アニメーションのグロス請けをしていたが、1980年に制作された『おじゃまんが山田くん』で初の元請制作をし、1982年制作の『さすがの猿飛』以降は、NAS制作作品の実制作が中心となった。1983年から制作に関与した『キャプテン翼』で一躍脚光を浴びるが、1986年7月11日に倒産した。円高不況のあおりでスポンサーのおもちゃメーカーが手を引いたため倒産したと言われているが、実際には様々な説があり何故倒産したかは不明である。制作中だった『ハイスクール!奇面組』は、8話~26話までの一部回をぎゃろっぷ、9話以降をスタジオコメットが引き継いだ。
[編集] 主な作品
- ドカベン(1976年-1979年、制作元請:日本アニメーション、制作協力)
- 野球狂の詩(1977年-1979年、制作元請:日本アニメーション、制作協力)
- 科学冒険隊タンサー5(1979年-1980年、制作元請:サンライズ、各話制作協力)
- おじゃまんが山田くん(1980年-1982年)
- まんがことわざ事典(1980年-1982年)
- がんばれゴンベ(1980年)
- うる星やつら(1981年-1986年、制作元請:スタジオぴえろ(現:ぴえろ)→スタジオディーン、各話制作協力)
- ゲームセンターあらし(1982年、制作元請:シンエイ動画、制作協力)
- 愛の戦士レインボーマン(1982年-1983年、制作元請:愛企画センター、制作協力)
- さすがの猿飛(1982年-1984年)
- まんが日本史(1983年-1984年)
- キャプテン翼(1983年-1986年)
- 黒い雨にうたれて(1984年)
- あした天気になあれ(1984年-1985年)
- らんぽう(1984年)
- 酎ハイれもん LOVE30S(1985年)
- ハイスクール!奇面組(1985年-1987年、7話までを制作、8話~26話までの一部の回をスタジオぎゃろっぷ(現:ぎゃろっぷ)、9話以降をスタジオコメットが制作継承)
[編集] 主な出身者
渡辺はじめ、福本潔、小川博司、湖山禎崇、三沢伸、別府幸司、一川孝久、馬場健(山田雄三)ほか
[編集] 土田プロのOBが設立した会社
- スタジオコメット(土田プロのプロデューサー出身、茂垣弘道が設立)
- スタジオ・ファンタジア(土田プロの色指定・検査出身、飯塚智久が設立)
- スタジオ雲雀(土田プロの仕上出身、光延幸子が設立)
- カオスプロジェクト(土田プロの文芸出身、榎本歩光が設立)
- スタジオ501(土田プロのアニメーター出身、小川博司が設立)