カンブレー
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フランス > ノール=パ・ド・カレー地域圏 > ノール県 > カンブレー
カンブレー | |
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国 | フランス |
地域圏 | ノール=パ・ド・カレー |
県 | ノール |
行政機能 | {{{administration}}} |
人口 | 33,716 人 |
面積 | 18.12 km² |
カンブレー(仏語:CambraiまたはCambray、独語:Kamerijk、日本語ではカンブレとも表記)はフランスノール県の市町村。
カンブレーにはカンブレー大司教区の司教座がおかれ、中世には絶大な権力を誇った(大司教座に格上げされたのは1559年のことである)。カンブレー司教区の領地は、おおまかにいって(歴史的な名称としての)フランドルと一致し、ネーデルラントの大きな部分を含む。
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[編集] 歴史
第一次世界大戦中、カンブレーの戦いがこの地において行われた(1917年11月20日 - 12月3日)。戦車を使用した作戦が初めて成功した例として知られる。
[編集] 音楽史
カンブレーには15世紀を中心に豊かな音楽の歴史がある。中世には吟遊詩人の活躍する地の一つでもあり、また12〜13世紀建造のカンブレーの大聖堂は17世紀に至るまでヨーロッパにおける音楽の中心地で、ネーデルラントのもっとも活発的な音楽活動基盤の一つであった。特に大聖堂の合唱隊はヨーロッパ随一ともされ、ブルゴーニュ楽派の多くの作曲家が、この地で若年期を過ごしながら音楽教育を受け、また後に教師としてこの地を訪れている。1428年に、ルクセンブルク公フィリップは、カンブレー大聖堂の音楽、光そして鐘の音を褒め称え、キリスト教世界の中でもっともすばらしい聖堂だと述べている。15世紀ヨーロッパ音楽で最も有名な人物であるギョーム・デュファイは、1409年から1412年の間、この聖堂で学び、イタリアで長く過ごした後、1439年に再び戻っている。また1450年代に絶対的な名声を確立した後の1459年にカンブレーに戻った際には、多くの若い音楽家が彼を慕ってカンブレーに集まったらしく、その中にはティンクトーリスやヨハネス・オケゲムなどもいた。
15世紀後半にカンブレー大聖堂で活躍した有名な作曲家には、他にニコラ・グルノン、アレクサンダー・アグリコラやヤーコプ・オブレヒトがおり、16世紀には、フィリップ・デ・モンテ、ヨハネス・ルピやヤコブス・デ・ケルルなどがいる。
北部ヨーロッパの経済の中心地がブリュージュから離れるに従って、この地域は経済的にも、文化的にも次第に衰退していった。大聖堂は1796年に取り壊された。大聖堂にオルガンが設置されることはなかった。書庫の文書は保存され、現在はリールのノール県文書館(Archives Départmentales du Nord)に保存されている。これらの文書は市立図書館の所蔵記録などとあわせて、カンブレーの音楽史を知るための重要な資料となっている。
カンブレーのデュファイの家の向かいには、パブ「武装した人」(L'homme armé)があった。
[編集] この地に生まれた人々
- シャルル・フランソワ・ドゥムリエ(1739-1823)フランスの将軍
- ルイ・ブレリオ(1872-1936)パイロット
- アンリ・ドゥ・リュバック(1896-1991)イエズス会士、神学者
- ジュリアン・トルマ(1902-1933)作家、劇作家、詩人
- ルネ・デュモン(1904-2001)農学技術者、社会学者、環境派政治家
- モーリス・ゴドリエ(1934年生)社会人類学者、新マルクス主義者
[編集] 姉妹都市
- ハウマ、アメリカ合衆国ルイジアナ州
- シャトーゲー(Châteauguay)カナダケベック州
- カンプ・リントフォルト(Kamp-Lintfort) - ドイツ
- エステルゴム - ハンガリー
- グラヴサンド(Gravesend) - イギリスケント州
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- David Fallows, Barbara H. Haggh: "Cambrai", Grove Music Online ed. L. Macy (Accessed August 4, 2006), 閲覧には購読が必要 音楽史の節