クルト・フォン・シュライヒャー
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クルト・フォン・シュライヒャー( Kurt von Schleicher! ?、1882年4月4日-1934年6月30日)はドイツの軍人でワイマール共和国の最後の首相。
ブランデンブルグ出身。陸軍士官学校の同期にフランツ・フォン・パーペンとオスカー・フォン・ヒンデンブルグがいて、その交友関係からパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領(オスカーの父親)下でのドイツ国防軍で勢力を強めた。ハインリッヒ・ブリューニング首相が世界大恐慌の善後処理のために経済政策を手をつけようとすると、社会主義的としてこれに反対。ブリューニング内閣を打倒し、後任の首相にパーペンを推挙した。
パーペン内閣で国防大臣に就任し、アドルフ・ヒトラー率いるナチスを与党に引き入れようとするが失敗。プロイセンの社会民主党政府を打倒することには成功したものの、パーペンの政治能力に疑問を持つようになり結果としてパーペン失脚に一役買う。1932年にヒンデンブルクの指名により首相に就任し、グレゴール・シュトラッサーらナチス左派を政権に引き入れる工作を行う。この工作は両者の行き違いから不調に終わり、更にシュトラッサーがナチスから除名状態に追い込まれてしまうなど失敗した。加えてシュライヒャーに失脚させられたパーペンがヒトラーに接近し、国家人民党も加わる形でシュライヒャー内閣が打倒されてしまう。
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