ジミー・ハート
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ジミー・ハート(Jimmy Hart1943年1月1日-)はアメリカ合衆国のプロレス・マネージャー、作曲家、歌手。テネシー州メンフィス出身。ニックネームは「南部のおしゃべり男(Mouth of the South)」。2005年、WWE殿堂入り。
1980年代、1990年代を代表するヒール・マネージャーの一人で、コスチュームは原色のド派手なスーツ、サングラスにリーゼント。常に携帯しているメガホンは彼の代名詞となっている。元々は人気ロックバンドのヴォーカルだった。
[編集] 経歴
1963年、ロックバンド「ザ・ジェントリーズ」(The Gentrys)のメンバーとしてデビュー。最大のヒット曲『Keep on Dancing』では全米ビルボードチャート4位にランクインした。
地元メンフィスの看板レスラーでプロモーターでもあったジェリー・ローラーにスカウトされ、1970年代に彼のマネージャーに転身。テネシー時代はローラーの他、若手時代のランディ・サベージやその弟ラニー・ポッフォ、リック・ルード、オースチン・アイドルなどを担当した。
1985年、WWFに移籍。先ずはキングコング・バンディを担当し、WrestleManiaのS・D・ジョーンズ戦は長くレッスルマニア史上最短試合となっていた。その後はハート・ファウンデーションやナチュラル・ディザスターズなどを始め、特にタッグのマネージメントを得意とし数多くのコンビをタッグ王者に導いた。ハルク・ホーガンと親しくなり、90年代に入るとホーガンとブルータス・ビーフケーキのタッグ、メガ・マニアックスも担当。また、元ミュージシャンの経歴を活かし、多くの選手の入場曲を作曲した。
ホーガンと時を同じくしてWWFを離れ、1994年に共にWCWへと移籍。リング外でもホーガンのマネージャーも務めるようになり、2001年のWCWの崩壊後は自身でXWFという団体を旗揚げした。程なくXWFは活動を停止したものの、その後はTNAに協力。一時期は彼のマネージメントで、WWEを離脱したホーガンのTNA登場が実現寸前となるも、結局ホーガンと共にWWE殿堂入りを果たすことになった。殿堂入り後もTNAでザ・ナチュラルズのマネージャーを担当するなど独自の立場を取っている。
[編集] 主な担当選手
- ジェリー・ローラー
- ランディ・サベージ
- ラニー・ポッフォ
- リック・ルード
- オースチン・アイドル
- キングコング・バンディ
- ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)
- ナチュラル・ディザスターズ(アースクエイク&タイフーン)
- ザ・ファンク・ブラザーズ(ホス・ファンク&テリー・ファンク)
- リズム&ブルース(ブルータス・ビーフケーキ&グレッグ・バレンタイン)
- ナスティー・ボーイズ(ブライアン・ノッブス&ジェリー・サッグス)
- ハルク・ホーガン
- メガ・マニアックス(ハルク・ホーガン&ブルータス・ビーフケーキ)
- マネー・インク(テッド・デビアス&アーウィン・R・シェイスター)
- ルージョー・ブラザーズ(ジャック・ルージョー&レイモンド・ルージョー)
- ザ・ジャイアント