ジャガイモ飢饉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャガイモ飢饉(じゃがいもききん、英語 Potato Famine)とは、19世紀のアイルランドで主要食物のジャガイモにジャガイモ疫病が発生し枯死したことで起こった食糧難である。
[編集] 原因・背景
19世紀はじめ、イングランドによって土地を奪われたアイルランド人は小作農にならざるを得なかった。恒常的な食料不足に悩んでいたアイルランドで、おもに麦を栽培していた小作農家たちは、地主に納めなくてもよく、荒れた土地でも栽培できるジャガイモの栽培を始めた。ジャガイモの栽培は急速に普及し、農民たちの主食となっていった。
しかし、1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモにPhytophthora infestans菌による感染症であるジャガイモ疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。これは"Great Famine"と呼ばれて、歴史の方向を変えたとさえ言われている。
このジャガイモ飢饉の原因とされるジャガイモ疫病は、植物の伝染病の一種であるが、このような伝染病が蔓延する為には、感染源、宿主、環境の三つの要素が揃うことが必要である。ジャガイモが当初ヨーロッパに持ち込まれた時には、この中の感染源となる病原菌そのものがメキシコの特定の地域に限定されていて、ヨーロッパには未だ伝来していなかったものと推定されている。そのためにアイルランドではこのような病気が蔓延することもなく、収量の高さ故に順調に栽培が増えて、人々のジャガイモへの依存度が高まっていったものと思われる。
その後、何等かの理由によりジャガイモ疫病の菌が北アメリカよりヨーロッパに持ち込まれて急速に蔓延して、ジャガイモ作物に壊滅的な被害を与えることになった。その当時はまだこのような微生物が病気を引き起こすという考え方そのものが一般的に受け入れられていない時代で、Phytophthora infestansがその原因となる菌であることが明らかにされたのはさらに下って1867年のことであり、アントン・ド・バリーの功績による。当時のヨーロッパでは、疫病のような病気そのもののが存在することすら未経験であり、これがヨーロッパにおける最初の蔓延であった。
さらに、ジャガイモは通常前年の塊茎を植えるという無性生殖による栽培法を用いるが、アイルランドでは、収量の多い品種に偏って栽培されており、遺伝的多様性がほとんどなかった。そのため、菌の感染に耐え得るジャガイモがなく、菌の感染がこれまでないほど広がった。栽培化が行われ、ジャガイモが伝統的に主食作物であった原産地のアンデス地方では、伝統的にひとつの畑にいくつもの品種を混ぜて植える習慣があり、これが特定の病原菌(レース)の蔓延による飢饉を防いでいたのである。
[編集] 飢饉の結果
ジャガイモを主食としていたアイルランドでは100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。また、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどへ計200万人以上が移住したといわれる。この時アメリカへ移民した中にケネディ家の祖先も含まれていた。
飢饉の際のイングランドの無策はアイルランドのイングランドへの不信感を増幅させ、宗教政策ともあいまって独立運動のきっかけとなった。
犠牲となった多くが被支配層であるアイルランド人であったため、アイルランド語を話す人口が激減する結果ともなった。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 飢饉 | アイルランドの歴史 | 歴史関連のスタブ項目