ジャン・マリー・プファフ
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ジャン・マリー・プファフ(Jean-Marie Pfaff, 1954年12月4日 - )は、ベルギー・ブリュッセル出身の同国の80年代を代表するサッカー選手(GK)。
代表レベルではEURO1980において決勝に進出。これは今のところ、同国サッカー史上において、最も優勝に近づいた出来事である。また1986年のメキシコW杯でもチームをベスト4に導くなど、エンツォ・シーフォとともにベルギーサッカー史に無くてはならない活躍を見せる。
クラブレベルでは弱小クラブであったべべレンを1978-1979シーズンのリーグ制覇に導く。82年のW杯後にドイツの名門、バイエルン・ミュンヘンに鳴り物入りで入団。ゼップ・マイヤーの後継者として、このドイツの名門のゴール・マウスを任されると、その期待を裏切らぬ活躍を見せ、多くの勝利に貢献した。 晩年にはリエージュ(ベルギー)、トラブゾンシュポル(トルコ)と渡り歩いて、36歳で現役を引退した。
プレースタイルは、俊敏性に長け、判断よくゴールを飛び出し、ハイボールにも強い。最後列から味方を鼓舞し、自軍の士気を高める、指揮官タイプともいえる。
- ポジション GK
- 身長/体重 180cm/80kg
- 代表歴 62試合0得点
- 代表デビュー 1976/5/22(対オランダ)
[編集] 所属クラブ
- KSKベベレン(ベルギー)1970-1982
- バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)1982-1988
- リールセSK(ベルギー)1988-1989
- トラブゾンスポール(トルコ)1989-1991