ジョン・ウィリアム・フェントン
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ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton、1828年 - 没年不詳)は、アイルランド生まれのイギリスの作曲家。13歳で、少年鼓手兵としてイギリス陸軍にはいった。1864年、第10連隊第1大隊軍楽隊長。1868年4月、横浜に赴任、同大隊はイギリス大使館護衛部隊となった。
1869年、日本で初めて吹奏楽の練習を始めた。イギリスから楽器が届くまでは、調練、信号ラッパ、譜面読み、鼓隊の練習をおこない、明治3年7月ベッソン社の楽器が届いた。1869年暮れに、伝習生に国歌の必要性を説いた。フェントンは日本語を解さないので、通訳の原田宗助が歌っていた『武士(もののふ)の歌』を参考に、『君が代』を作曲した。フェントンの『君が代』は、コラールふうで、旋律にはアイルランド臭が感じられるという。1871年、イギリス海軍を退役し、兵部省(のち海軍省)水兵本部雇となったが、自身作曲の『君が代』の評判は、中村祐庸その他に批判されるなどかんばしいものではなかった。一方、陸軍では海軍と分けられたのちは、フェントン作曲の『君が代』を顧みず、敬礼ラッパ曲『陣営』を礼式曲として用いた。この時点では、正式の、あるいは公式の「国歌」として受け容れられなかったように思われる。1874年、宮内省雇教師。1877年、離任した。
[編集] 参考文献
- 中村理平 『洋楽導入者の軌跡』 刀水書房
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