スカイボルト (ミサイル)
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スカイボルト(ダグラスGAM-87 Skybolt)は、1950年代後半に米国で開発されていた空中発射弾道ミサイルの名称である。
[編集] 概要
空中発射弾道ミサイルは、爆撃機に装備され、常時その所在地を変更している。1950年代においてはミサイルサイロがまだ開発されておらず、アメリカ空軍の露天・固定配備の弾道ミサイルよりも秘匿性が高くなり、生存性が高まると考えられていた。開発に伴なう一連のテストが失敗し、これが原因で開発計画が中止されると、計画に参加していた英国に大きな影響を与えた。
[編集] 開発
1958年に米国のいくつかの企業が戦略爆撃機に搭載して高高度で発射される大型弾道ミサイルのデモンストレーションを行った。このミサイルはアメリカ海軍の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)と同様に中間行程で天測航法を併用する慣性誘導装置を使用し、既存の地上配備のミサイルと同等の命中精度を持っていた。このシステムは米空軍の興味を弾き、1959年には開発計画の入札が行われた。同年5月26日、ダグラス・エアクラフトが主契約者となり、サブコントラクターとしてノースロップのNortronics部門(誘導装置)、エアロジェット・ゼネラル(推進装置)、ゼネラル・エレクトリック(再突入体)などの企業が開発に参加した。計画は、最初に兵器システムWS-138Aとして始まり、1960年にはGAM-87スカイボルトの名称が与えられた。
同じ頃、英国空軍(RAF)はブルーストリークとして知られる中距離弾道ミサイル開発計画に問題を抱えていた。ブルーストリークの開発は計画の遅延と予算超過のみならず、英国諸島でミサイルサイロとして利用可能な地域は、仮想敵国である旧ソ連にとって容易に発見/攻撃が可能であることを意味した。RAFはスカイボルトが地上配備ミサイルより安全であり、同時に増大するソビエト防空軍(PVO Strany)の防空圏の外から使用できる長射程のスタンドオフ兵器としてRAFのV-爆撃機群団のプレゼンスを維持することができると考えた。この事は開発中の高価なブルースチールMk.II空対地ミサイルが必要無くなる事を意味した。当時の英国首相ハロルド・マクミランは米国大統領アイゼンハワーと会談し、RAFが144基のスカイボルトを購入することに合意し、そしてブルーストリーク、ブルースチールMk.IIは両方ともキャンセルされた。
1961年1月には米空軍のB-52Hによる投下テストと、バルカンMk.II爆撃機の試作機XH537を使用したモックアップミサイルによる互換性試験が始まった。1962年4月にはロケットエンジンと誘導装置を搭載した発射テストが始まったが、最初の5回の発射テストは全て失敗に終わった。1962年12月19日には発射テストが初めて完全に成功したが、同じ日にケネディ大統領によってスカイボルトの開発計画中止が決定され、量産は中止された。
この決定は英国から信頼性のある核抑止力を奪うこととなった。出資に応じた成果が英国に提供されたが、英国は国防長官ロバート・マクナマラの発案によるポラリスSLBM売却に同意し、主要な核抑止力の担い手をRAFから英国海軍ヘ移した。RAFはV-爆撃機や後のパナビア・トーネード攻撃機に搭載するWE177戦術核爆弾の運用能力を保持しつづけた。
計画中止後も、残ったXGAM-87Aミサイルを用いて限定的な飛行テストが続けられた。1963年6月に、XGAM-87AはXAGM-48Aに改称された。
[編集] 要目
GAM-87スカイボルトはエアロジェット・ゼネラル製の二段式固体燃料ロケットで飛翔する中射程の弾道ミサイルで、全長11.66m(38feet 3inch、テイルコーン含む)、全幅1.68m(5feet 6inch)、ミサイル本体の直径89cm(35inch)、発射重量5,000kg(11,000lb)、射程1,850km(1,150mile)だった。弾頭は威力1.2MTのW-59核弾頭を搭載したMk.7型再突入体を一基装備する単弾頭ミサイルだった。
米国ではB-52Hが翼下の並列パイロンに二基ずつ、合計四基のミサイルを搭載し、英国ではアブロ バルカンB2爆撃機が両翼に一基ずつ、合計二基のミサイルを搭載した。パイロンに取りつけられたミサイルは空気抵抗を減らすために尾部にテイルコーンが取りつけられているが、これは搭載機からミサイルが投下されると分離する。
第一段ロケットの燃焼が終了したあと、第二段エンジンが点火するまでのしばらくの間、スカイボルトは滑空飛行する。第一段の誘導制御は尾翼による空力制御で行われ、第二段の制御は可動ノズルによって行われた。