ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
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ストロベリー・フィールズ・フォーエバー / ペニー・レイン Strawberry Fields Forever / Penny Lane |
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ビートルズ の 両A面シングル | ||
リリース | イギリス:1967年2月13日 アメリカ:1967年2月17日 |
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録音 | アビイ・ロード・スタジオ(1966年11月24日 - 12月21日) | |
ジャンル | ロック | |
時間 | 4分10秒 | |
レーベル | イギリス:パーロフォン アメリカ:キャピトル・レコード |
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プロデュース | ジョージ・マーティン | |
チャート順位 | ||
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ビートルズ 年表 | ||
イエロー・サブマリン / エリナー・リグビー (1966年) |
ストロベリー・フィールズ・フォーエバー / ペニー・レイン (1967年) |
愛こそはすべて (1967年) |
ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(Strawberry Fields Forever)は、ジョン・レノンが故郷にある戦争孤児院「ストロベリー・フィールド」(曲名と違い、この孤児院の名前は単数形のストロベリー・フィールド)をモチーフに作った曲である。ビートルズのサイケデリック期における傑作として評価されている。
本曲は、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の収録曲と同時期に録音されており、やはり同時期に録音されたポール・マッカートニー作曲の「ペニー・レイン」と共に、同アルバムに先行する両A面のシングルレコードとして1967年2月にリリースされた。本曲は同アルバムには収録されていないが、同年の米国キャピトル・レコード編集によるアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』には収録されている。
既発売の正式テイクは、2コーラス目の冒頭の歌詞、「Let me take you down, 'cause I'm going to」の、「I'm」と「going」の間(CDでは開始からちょうど1分の所である)で、演奏キーの(さらにはテンポも)全く異なる(つまり、音域やコードが平行移動された)二つのテイクの録音テープの回転速度を合わせて、絶妙に繋ぎ合わせている。『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』で、繋ぎ合わせる前の前半のテイクのみのスルーバージョン(通し演奏版)が収録されている。 イントロ後の"―――'cause I'm going to"のバック(左チャンネル)に聞こえるモールス信号のような音は、John Lennonのイニシャルの「J」「L」が4回ずつ(・--- ・-・・×4?)流れているが、これはギター(モールス音?)などで意図的に入れたものなのか、偶然なのかは不明である。
イントロ部分に当時の最新テクノロジー楽器であるメロトロンも利用されている。この曲のレコーディングにはかなりの時間が掛けられている。しかし、作者のジョン本人は、主にアレンジ面で不満があったようで、1980年のインタビューで、「ヘルプ!」や「アイ・アム・ザ・ウォルラス」と共にもう一度、レコーディングを行いリリースしたいと答えていた。プロデューサーのジョージ・マーティンによると、初めてジョンが目の前で歌ったアコースティック・ギターのみの演奏が最高だったらしい。
この曲の終わりのジョンのつぶやきが「I buried Paul(ポールを埋めた)」と聞こえると話題になり、「ポール死亡説」を裏付ける一因とされたが、ジョンによれば「クランベリーソース(Cranberry Sauce)」と言っているだけとのことだった。実際『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』収録のこの曲のアウトテイクでもはっきりと「Cranberry Sauce」と言っているのが、聴くことができる。
モチーフとなったストロベリー・フィールド孤児院(救世軍子供の家)は、ビートルズ・ファンの訪問が絶えない場所であったが、入居する孤児が減少したことと、孤児のためには孤児院よりも里親制度のほうが好ましいとの運営側の判断から2005年に閉鎖された。建物の存続も心配されたが、その後2006年10月、祈祷や瞑想のための部屋を備えた修道施設として再オープンした。
プロモーション・ビデオもカラーフィルム映像で製作されており、当時としては珍しく演奏シーンの全くないものとなった。プロモフィルムも非常に評価が高い。
なお、アメリカではB面扱いされ、最高8位を獲得している。
[編集] 収録アルバム
[編集] 関連項目
- 貴志駅 - 到着前と発車直後の車内放送で、名産のイチゴに因み同曲をアレンジしたチャイムが鳴らされる
- ビートルズの曲名一覧