スバル1500
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スバル1500 | |
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エンジン | FG4A型 1.5L 水冷直4 OHV 48PS/10.0kgm L4-1型 1.5L 水冷直4 OHV 55PS/11.0kgm |
サスペンション | フロント ウィッシュボーン式独立懸架 リア 車軸懸架 |
全長 | 4235mm |
全幅 | 1670mm |
全高 | 1520mm |
車両重量 | 1230kg |
乗車定員 | 6人 |
スバル1500とは、富士重工業が開発した自動車のこと。諸々の事情で市販されなかった。(下記参照)
目次 |
[編集] 概要
開発時のコードネームは「P-1」
日本初のフルモノコック構造のボディを搭載した乗用車。前輪はウィッシュボーン式独立懸架方式で、コイルばね+複動式オイルダンパー、後輪は車軸懸架方式で、3枚板ばね+複動式オイルダンパーを組み合わせたサスペンションを採用。乗り心地は好評で、ボディ・足回りの耐久性は他の車より秀でていたという。
この車に当初積まれたエンジンは、1.5L直列4気筒OHVエンジン「FG4A型」で、富士精密工業がフランス製プジョー・202のエンジンをベースに開発した製品だったが、本来はプリンス用のエンジンだったことから、後に富士精密工業からのエンジン供給は途絶えた。(当時の富士精密工業はブリヂストンの資本下にあり、その上プリンス自動車との合併の話が進んでいるところだった。後に富士精密工業はプリンスと合併した。)
この事態をあらかじめ予測していた富士自動車工業は、大宮富士工業に依頼して1.5L直列4気筒OHVエンジン「L4-1型」を開発した。20%以上も軽量で、かつ性能はFG4A型を上回る。
P-1の愛称は当初社内募集だったが、送られたのは「パンサー」「フェニックス」「坂東太郎」など、しっくり来る名称が無く、結局、富士重工業初代社長の北謙治が自ら「スバル」と命名した。これはプレアデス星団の和名のことで、六連星とも言う。富士重工業が5社の合併により設立したことから、前身の中島飛行機系5社と富士重工業を含めた6社を意味しているという。
[編集] 計画の終焉
1954年に試作車が完成し、翌年までに20台を試作した。うち11台はFG4A型エンジンが、残り9台はL4-1型エンジンが搭載されていた。そして、うち6台を伊勢崎市・太田市・本庄市でタクシー会社向けに販売し、約1年間モニターをしてもらい、残り14台は自家用を兼ねて別にテストを続けた。テスト結果はどれも好評だった。また、1957年に行われた、運輸省の性能テストでも、最優秀の成績を納めていた。
たが、ボディやエンジンの量産体制を整えるには負担が大きいことなどから、結局スバル1500の本格量産計画は見送られ、この車が一般に市販されることは無かった。なお現在、富士重工業群馬製作所矢島工場内の「スバルビジターセンター」に展示されている。