スヴェン・ゴラン・エリクソン
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スヴェン・ゴラン・エリクソン(Sven Göran Eriksson、1948年2月5日 - )は、スウェーデン・トルスビー出身のサッカー指導者。(英語では題のカナ表記が近いが、スウェーデン語ではGはIと発音される場合があり、スヴェン・イェーラン・エリクションがカナ表記としては近い)。
選手としては故障などもあって活躍できず、早々に指導者へ転身。デゲルフォーシュIFやIFKイェーテボリといったスウェーデンのクラブチームを指揮した。81/82シーズンには、IFKイェーテボリの監督としてUEFAカップ優勝へと導いた。全くのセミプロのクラブをヨーロッパ一へと導いたことは当時衝撃的な出来事だった。その手腕を買われ、1982年にポルトガルの名門、ベンフィカの監督へと招かれる。以後、ローマやフィオレンティーナ、サンプドリアといったセリエAの中堅クラブで監督としてのキャリアを積み、1997年にはラツィオの監督に就任。1999-2000シーズンにはセリエA優勝を果たした。
ケビン・キーガンがイングランド代表監督を辞任したのを受けて、2001年から代表史上初の外国人監督としてチームを率いた。日韓W杯、EURO2004に続きドイツW杯欧州予選でもグループ首位で通過を果たし、本戦出場を決めている。しかし、タブロイド紙のおとり取材による数々の問題発言によりドイツW杯後に退任した。