タイ軍事クーデター (2006年)
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タイ軍事クーデター(2006年)(-ぐんじ-)とは、2006年9月19日にタイで発生した陸軍と警察による無血クーデター。
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[編集] 概要
9月19日の午後、十数台の戦車がバンコクの政府庁舎を包囲し、50名の兵士が建物内に入りこれを占拠した。[1]国連本部において開催される国連総会に出席するためにニューヨークを訪問中であったタクシン・チナワット首相はこの報を聞くと即座に陸軍総司令官のソンティ・ブーンヤラッガリンを解任した。クーデターを指揮していると見られるソンティ司令官は国王ラーマ9世に忠誠を誓っていると報道されており、戒厳令を敷いた上で全権を掌握した。
[編集] クーデターの背景
タイ王国では、タクシン・チナワット首相の親族による、株式インサイダー取引疑惑が2006年1月に発覚し、一挙に政治不信が国民の間で増大した。また、タクシンは就任当時から汚職の疑いが多数もたれていた。このため、タクシン政権は人民代表院(下院)を解散し再選挙を行うという手を打ったが、主要野党が出馬をボイコットしたため、憲法裁判所が選挙無効を宣言した。
下院総選挙後にタクシン首相は退陣する意向を示したが、そののち公務に復帰し、国民から反発を買った。2006年8月には、陸軍幹部による首相暗殺未遂事件が発覚。このころから、軍内部では首相派と反首相派との間に分かれていることも同時に発覚。ただし、軍隊によるクーデターが起こるという噂は2005年の11月のタイの経済新聞のプーチャットカーン紙の経営者であるソンティ(陸軍司令官のソンティ氏とは別人)がタクシンが軍用機を私用したこと、宮内庁の許可なくワット・プラケーオで宗教儀式を行ったことに対してテレビで批判しルムピニー公園でタクシンに対する批判集会があったときから少しずつ噂され始めていた。当時の国軍最高司令官は「王室を巻き込むのは我慢の限界」との旨を表し、タクシンに対してかソンティに対してかを明言せずに「何かあるかもしれない」と何らかの形で軍隊が政治に介入する旨を示していた。ただし、実質の最高権力者であったソンティ陸軍司令官は当時、陸軍がクーデターを起こすことはないと明言していた。
反首相派は、国王に全幅の忠誠を誓ったうえで、2006年9月19日に軍事クーデターを決行した。この時、タクシン首相はアメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれていた国連総会に出席するため同地に滞在しており、首相の不在を狙った計画的クーデターとの観測が流れている。
[編集] 国際社会の反応
- アメリカ政府は、クーデター発覚後声明を出し、平和的に問題が解決され、直ちに文民による民主的な政府への復帰を目指すよう働きかけた。
- 国連でも、総会中の出来事であったため、緊急にこの問題を取り上げることとなった。
[編集] 日本への影響
外務省や現地の日本人の有志たちが、タイ在住の日本人や旅行者に冷静に対応するよう呼びかけ、外務省は渡航安全情報を出し、旅行者に渡航の是非を考えるよう情報を出した。タイに進出している企業の中には、工場の操業を戒厳令発令中は取りやめたりしていたが、事態の沈静化を受けて現在は観光、業務渡航は通常通りに戻っている。
[編集] 参照
- ^ 戦車が総理府周辺を封鎖、緊張感はなし、newsclip.be、2006/9/20 (03:05)
[編集] 外部リンク
- Coup declaration video from YouTube You Tubeにアップロードされたクーデター宣言 (タイ語)
- Coup declaration video from YouTube 同上 (英語字幕付)
- 国家安全保障評議会(旧民主改革評議会)の公式サイト 声明・布告・命令・暫定憲法をDL可能。