クーデター
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クーデター(仏語・英語 coup d'état, 西語 golpe de Estado, 独語 Putsch)は迅速な襲撃で政府の実権を握る行為で、特に権力者内部の少数グループ(軍部など)が武力によって実権を握る行為を指すことが多い。短期間での権力掌握に失敗し、武力衝突が長期化した場合は内乱、内戦と呼ぶのが一般的である。
より大きなグループによる反乱や被支配者側から政治的意図から体制を変革する革命とは異なる。ただし、必ずしも排他的な概念ではなく、革命的意図を持ったクーデターもある。日本語では流血もなく平和裡に成功した場合は政変、武力衝突や流血をともなった場合は武力政変などと訳される。クーデターはフランス語で「国家への一撃」の意味がある。
現代社会においてクーデターは非合法で超法規的武力による権力奪取として否定的に見られる傾向が強い。
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[編集] クーデターの歴史
歴史上のクーデターは、政権内の有力者が自分より上位の有力者を一斉に無力化することにより、自分がトップに躍り出るというものである。
このため、主に中央集権化した体制でおきる。 なぜなら、封建制など地方分権の強い体制では、中央が入れ替わっても、地方がそれに従うとは限らないからである。
以上の理由により、ビザンティン帝国、イスラム帝国、中華帝国では非常に多く起きている。
近世に入ってからは多くの国で中央集権化が進んだためクーデターが容易になったが、一方で工業化が進み大衆が豊かになり社会構造が複雑化すると、地方政府、政党、官僚、警察、企業、労組、宗教、圧力団体、マスコミ、その他コミュニティーといった多岐にわたる権力集団をすべて軍事力で掌握することは非常に困難になり、一般に先進工業社会ではクーデターが稀になってきている。しかし一般大衆の子弟が高等教育を受けることが困難で、立身出世を望む優秀な若者が軍に集中する構造の社会では今もクーデターが頻発する。
現代では、軍事力は国軍が握っているため、国家体制が未発達の国で傭兵や民兵が企てる以外は、国軍によるクーデターがほとんどである。軍の最高幹部が起こすものと中堅幹部が起こすものがあり、後者の方がより体制変革(革命)の意識が強いが、どちらも革命評議会、臨時救国政府等と名乗る軍事政権(junta)を作ることが多い。そうでなければ、最高幹部が名目上、退役し、軍の力を背景に、利権と弾圧によって大統領になるというものである。
[編集] 日本のクーデター
年 | 名称 | 備考 |
---|---|---|
645年 | 大化の改新 (乙巳の変) |
中大兄皇子らによる蘇我入鹿の殺害、その父蝦夷の自殺。 |
1159年 | 平治の乱 | 藤原信頼、源義朝が後白河上皇を確保するが平清盛の反撃により失敗。 |
1179年 | 治承・寿永の乱 | 平清盛が後白河法皇を幽閉して太政大臣・関白らを流刑にするが源頼朝らの挙兵を招いた。 |
1493年 | 明応の政変 | 室町幕府の管領細川政元が将軍足利義材を幽閉して足利義澄を後継者とする(今日ではこの事件が日本の戦国時代の開始とされている)。 |
1541年 | 武田信虎追放 | 武田晴信が父を駿河に追放し、家督を得る。 |
1551年 | 大内義隆殺害 | 陶隆房(晴賢)ら重臣達が主君とその側近を殺害して大内義長を後継者に迎えた。 |
1582年 | 本能寺の変 | 明智光秀が主君織田信長を殺害して京都を掌握するも、羽柴秀吉に敗れて失敗(クーデターではないとする説もある)。 |
1863年 | 八月十八日の政変 | 薩摩藩・会津藩が長州藩を京から追放。 |
1868年 | 王政復古 | 岩倉具視、大久保利通ら討幕派による徳川家の権力からの追放 |
1931年 | 十月事件 | 陸軍将校が満州事変不拡大方針の若槻内閣打倒を狙うが未遂。 |
1932年 | 五・一五事件 | 犬養毅首相を暗殺する。結果的に政党政治が終焉。 |
1936年 | 二・二六事件 | 政府要人多数を殺害し東京の中枢を占拠したものの失敗。事件後の粛軍により統制派が勢力を拡大。 |
1945年 | 宮城事件 | ポツダム宣言受諾後、一部軍人が近衛師団長を殺害し宮城(皇居)に侵入。失敗。 |
1952年 | 吉田内閣打倒計画 | 国粋主義者や公職追放被処分者が鳩山一郎を担ごうとする。辻政信の説得により中止。 |
1961年 | 三無事件 | 旧軍将校らによる。破防法が適用され有罪判決が下った初めての事件。未遂。 |
[編集] 世界のクーデター
[編集] 19世紀以前
年 | 国 | 名称 | 備考 |
---|---|---|---|
BC44年 | 共和制ローマ | カエサル暗殺 | 共和派のブルートゥス、カッシウス等が政権を取ろうとしたが失敗。 |
626年 | 唐 | 玄武門の変 | 李世民(太宗)が太子李建成を殺害。 |
710年 | 唐 | 韋后一族殺害 | 李隆基(玄宗)、太平公主が睿宗を復位。 |
1204年 | ビザンティン帝国 | アレクシオス4世殺害 | アレクシオス5世即位。第4回十字軍の攻撃理由となる。 |
1483年 | イングランド | エドワード5世幽閉 | リチャード3世即位。 |
1762年 | ロシア帝国 | ピョートル3世幽閉 | 皇后エカチェリーナが皇帝に即位。 |
1772年 | スウェーデン | 自由の時代の抹殺 | 近衛連隊による、グスタフ3世の政権奪取。王権確立。 |
1794年 | フランス | テルミドールのクーデター | ロベスピエールの処刑。 |
1799年 | フランス | ブリュメール18日のクーデター | ナポレオンによる統領政府の樹立。 |
1801年 | ロシア帝国 | パーヴェル1世殺害 | 近衛将校による。アレクサンドル1世即位。 |
1809年 | スウェーデン | グスタフ4世追放 | 貴族による立憲君主制政府樹立。 |
1851年 | フランス | ナポレオン3世による自己クーデター。翌年、皇帝に即位。 | |
1886年 | バイエルン王国 | ルートヴィヒ2世逮捕監禁 | 精神異常者として禁治産者に認定され、弟オットー1世への譲位を迫られる。 |
[編集] 20世紀
年 | 国 | 名称 | 備考 |
---|---|---|---|
1917年 | ロシア帝国 | 十月革命 | ボリシェビキによる権力掌握 |
1920年 | ドイツ | カップ一揆 | 義勇軍エアハルト旅団(コンスル/執政官組織の前身)による共和国打倒の目的。ベルリンを制圧するが数日で撤退。 |
1922年 | イタリア | ローマ進軍 | ムッソリーニ率いるファシスト党が国王の支持のもと政権を掌握。 |
1923年 | ドイツ | ミュンヘン一揆 | ヒトラーらによる。失敗。 |
1926年 | ポーランド | 五月クーデター | ユゼフ・ピウスツキ影響下の軍部による。 |
1926年 | リトアニア | 議会民主制下の左翼政権を軍部が転覆。 | |
1927年 | 中華民国 | 上海クーデター | 第1次国共合作下、国民党右派の蒋介石が共産党を襲撃し政権を掌握するも国共内戦へ。 |
1929年 | ユーゴスラビア | 国王アレクサンダルによる専制樹立。 | |
1933年 | オーストリア | エンゲルベルト・ドルフスによる議会民主制の停止 | |
1934年 | ラトビア | 議会民主制の停止 | |
1934年 | ドイツ | 長いナイフの夜 | 首相ヒトラーの命を受けたSSによる。SA幹部ら党内外の非服従勢力を非合法的に殺害。 |
1934年 | オーストリア | 墺ナチス党員によるドルフス暗殺。クーデターは失敗。 | |
1941年 | ユーゴスラビア | 軍部が親枢軸国の摂政を追放し17歳の国王親政樹立。直後にドイツがユーゴ侵攻。 | |
1944年 | ドイツ | 7月20日事件 | ドイツ国防軍の反ヒトラー派によるヒトラー爆殺と反ナチ蜂起計画。ヒトラーが軽傷を負ったものの失敗。これ以外にも数回行われたが全て失敗に終わっている。 |
1948年 | チェコスロバキア | 二月の勝利 | チェコスロバキア共産党による権力掌握。 |
1953年 | イラン | Operation Ajax | モサデク政権転覆。親米のパーレヴィ国王による王政復古 |
1957年 | エジプト | ガマール・アブドゥン=ナーセルなど自由将校団による権力掌握。ファルーク国王退位亡命。翌年王政廃止。 | |
1958年 | タイ | サリット・タナラット元帥によるピブーン政権転覆。翌年サリット政権成立 | |
1958年 | フランス | シャルル・ド・ゴールによるフランス第五共和政樹立 | |
1961年 | 大韓民国 | 5・16軍事クーデター | 2年後朴正煕が大統領に就任 |
1962年 | ビルマ | 国軍総司令官ネ・ウィン将軍による軍事クーデター | |
1963年 | イラク | 王制を廃したカセム政権倒れる | |
1963年 | 南ベトナム | ゴ・ディン・ジエム殺害 | |
1963年 | リビア | カダフィ大佐による軍事クーデター | |
1965年 | 中央アフリカ | ジャンベデル・ボカサ中佐による軍事クーデター。ボカサ皇帝に就任。 | |
1967年 | ギリシャ王国 | ゲオルギオス・パパドプロス大佐による軍事クーデター | |
1971年 | トルコ共和国 | Coup by Memorandum | 軍事クーデター |
1971年 | 中華人民共和国 | 林彪事件 | 林彪による毛沢東暗殺・権力奪取未遂事件。不明な点も多い。 |
1973年 | チリ | チリ・クーデター | ピノチェト将軍、アジェンデ社会主義政権を転覆 |
1974年 | ポルトガル | カーネーション革命 | 無血クーデター |
1979年 | 大韓民国 | 粛軍クーデター | 朴正煕大統領暗殺後、全斗煥少将が実権を掌握 |
1980年 | リベリア | 先住民部族出身のサミュエル・ドウ軍曹による軍事クーデター。アメリコ・ライベリアンの政権が倒され、ドウが政権を握る | |
1981年 | スペイン | 23-F | 民主化後の軍事クーデター |
1985年 | リベリア | トーマス・クィウォンパ准将によるドウ政権を倒そうと実行した軍事クーデター。クーデターは失敗し、クィウォンパ准将は処刑される | |
1988年 | ビルマ | 国防相ソウ・マウン将軍率いる国軍による軍事クーデター | |
1991年 | ソビエト連邦 | ソ連8月クーデター | 共産党保守派がゴルバチョフ書記長を監禁、共産党復権を狙う。失敗 |
1992年 | ペルー | ペルー・自己クーデター | 大統領アルベルト・フジモリによる自己クーデター |
1992年 | シエラレオネ | バレンタイン・ストラッサー大尉による軍事クーデター。モモ大統領が亡命し暫定政府樹立 | |
1996年 | シエラレオネ | ジュリアス・ビオ准将による無血クーデター。ストラッサー暫定政府議長が亡命し暫定政府議長に就任 | |
1997年 | シエラレオネ | ジョニー・ポール・コロマ少佐による軍事クーデター。カバー大統領が亡命しシエラレオネ軍事革命評議会樹立 | |
1999年 | パキスタン | ムシャラフ参謀総長が政権を奪取 | |
2000年 | フィジー | フィジー系武装集団が蜂起しインド系の首相や軍司令官を拘束。軍が介入し鎮圧、失敗 |
[編集] 21世紀
年 | 国 | 名称 | 備考 |
---|---|---|---|
2005年 | ネパール | ギャネンドラ国王が議会を停止、直接統治を宣言 | |
2005年 | モーリタニア | 大統領留守中に軍部が蜂起。軍事評議会を設置 | |
2006年 | タイ | タイ軍事クーデター | タクシン政権の現状を批判する軍が決起、憲法を停止。先に総選挙が行われていたが裁判所によって結果無効が宣告され、議会も停止している中での出来事。タクシン元首相はロンドンに亡命状態に。 |
2006年 | フィジー | 退陣を拒否した首相を軍と大統領が解任し軟禁。2000年のクーデターにおける関係者の処遇を巡り軍司令官と首相の対立が昂じたもの。 |
[編集] サミュエル・ハンチントンによる分類
- 現状打開的クーデター(Breakthrough coups)
- 守護者的クーデター(Guardian coups)
- 拒否表明的クーデター(Veto coups)
[編集] その他
- カウンタークーデター
- あるクーデターが起きてまもなく、それによって成立した政権に対し起こすクーデター。2度のクーデターによってライバルの有力者がほとんど消えることと、前のクーデターを悪者にして、自己の政権を正当化できるため、より大きな権力の掌握が可能である。インドネシアの9月30日事件はその一種で、左派軍人のクーデターによって陸軍首脳が一掃された後にスハルト将軍が反撃、インドネシア共産党を壊滅させた。
- 自己クーデター(逆クーデター)
- 現在の最高権力者が、反対派を排除し、より集中した独裁的な権力を求めて行うもの。民主的な制度で選ばれた権力者や寡頭制における権力者、あるいは立憲君主制の君主などが行う。フランス第二共和政下のナポレオン3世のクーデターや近年ではペルーのアルベルト・フジモリの自己クーデターなどがある。本来のクーデターが発生した場合追い落とされるべき人物が逆にクーデターを仕掛けるということで、逆クーデターと呼ばれることもある。
- 比喩としてのクーデター
- 会社や団体の最高責任者の交代に使われることもある。合法的だが、慣例を無視したやり方で、急速、強引に進められたものをクーデターと呼ぶことがある。事前に周到に準備を進めた役員が役員会でいきなり解任の緊急動議を提出し、他の役員も賛成して強引に交代させるなどはその典型的なものであり、武力は使わないものの週刊誌記事でクーデターと呼ぶこともある。1982年に起こった三越の岡田茂社長に対する解任劇が有名で「13人のユダ」という小説にもなった。
[編集] 関連項目
- 謀反
- 革命
- 赤軍派
- タイにおける政変一覧・・・未遂や失敗を含めてクーデターを20以上経験した。