ダットサン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダットサン (Datsun) とはかつて日産自動車が小型乗用車やピックアップトラックに用いた商標名である。
目次 |
[編集] 概要
かつては「車といえばダットサン」といわれていた時代もあったが、2002年の排ガス規制でピックアップが生産中止となって以降、長く続いた車名が途絶えている。
海外では「FRONTIER」のネーミングで販売されている。「FRONTIER」は国内・海外とも生産されており、 北米(日産ノースアメリカINC)・ブラジル・タイ(サイアム日産モーターリミテッド)・スペイン(日産モトールイベリカS.A.)・中国(河南省の鄭州日産汽車公司)の日産工場で生産されている。
米国では「ダットサン」と発音する人はほとんどおらず、主に「ダツン」("ダ"にアクセントが来る)と呼ばれている。
オセアニア・欧州向けは「NAVARA」である。国内では湘南日産車体で組み立てられている。
現在でも、特に北米地域では「DATSUN」のブランド力は衰えておらず、「DATSUN」ブランド復活の声が多い。またダットサンは日産に買収されて消滅したと思い込んでいる人もいるようだ。日産自動車では「DATSUN」ブランドの復活を検討しているといわれる。
[編集] 沿革
- 1924年 - 快進社、ダット3/4トントラックを保護自動車として生産。
- 1926年 - 実用自動車製造株式会社と快進社自働車工場が合併し、ダット自動車製造(本社:大阪)設立。
- 1931年 - 鮎川義介がダット自動車の株を肩代わりする。戸畑鋳物株式会社自動車部となる。
- 1932年 - ダットサンのブランドが誕生。吉崎良造(よしざき りょうぞう)がダットサン商会を設立。
- 1933年 - 石川島自動車製作所がダット自動車製造株式会社を吸収合併。その際、自動車工業株式会社に改称(現在のいすゞ自動車)。
- 1933年 - 旧ダット大阪工場を戸畑鋳物が70万円で購入、自動車製造株式会社となる。自動車工業株式会社に対し、ダットの販売権を譲渡するよう嘆願する。自動車工業株式会社が戸畑鋳物に対して無償でダット製造権利を譲る。製造権と図面と技術者を得て、自動車製造が開始される。
- 1934年 - 自動車製造株式会社が日産自動車と改名。
[編集] 車名の由来
- 快進社自働車工場(のちに日産コンツェルンに吸収)の田健治郎の「D」、青山禄朗の「A」、竹内明太郎「T」とSUN(太陽)を合わせたもので、早く走ることのたとえに使われる「脱兎(だっと)」に掛けている。
- 最初はDATの「息子」を意味する「DATSON」を用いていたが、ローマ字読みで「損」を連想するため、「DATSUN」に改められた。
[編集] ダットサン名で販売された車種一覧
- ダットサン11型(1932年)
- ダットサン・ロードスター
- ダットサン・フェートン
- ダットサン・セダン
- ダットサン・スポーツDC-3
- ダットサン・スリフト
- ダットサン・サニー
- ダットサン・ブルーバード
- ダットサンスポーツ フェアレディ
- Datsun 240Z/260Z/280Z(日本名フェアレディZ)
- ダットサントラック(通称:「ダットラ」)
- ダットサンキャブライト/ダットサンキャブスター
- ダットサン220C/280C(日本名:セドリック)
- ダットサン240K(日本名:スカイライン)
- ダットサンバネット/ダットサンバネット ラルゴ
- ダットサンADバン
その他、海外向け日産車に付けられ多数の車に使われていたが今はその必要性が無くなった。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 日産自動車 | 自動車の歴史 | 自動車関連のスタブ項目