チヴィタヴェッキア
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チヴィタヴェッキア (Civitavecchia) |
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国: | イタリア |
州: | ラーツィオ |
県: | ローマ |
測地系: | 北緯: 42°6′0″ 東経: 11°48′0″ |
標高: | 海抜 4 m |
面積: | 71 km² |
人口: | 50,891 2004年12月31日 |
密度: | 667 人/km² |
分離集落: | Aurelia, La Scaglia |
隣接コムーネ: | アッルミエーレ、 サンタ・マリネッラ、 タルクイーニア (VT) |
CAP(郵便番号): | 00053 |
市外局番: | 0766 |
ISTATコード: | 058032 |
IDコード: | C773 |
住人の呼称: | civitavecchiesi |
守護聖人: | 聖フェルミナ (Santa Fermina) |
祝祭日: | 4月28日 |
公式サイト | |
チヴィタヴェッキア(Civitavecchia)はイタリア、ラツィオ州、ローマ県のコムーネの一つである。ティレニア海に面した港町であり、首都ローマから西北西に約80kmの距離にある。「チヴィタヴェッキア」とは「古代の街」を意味する。
[編集] 歴史
チヴィタヴェッキア港はトラヤヌス帝により整備され、街もその時代から発展した。インノケンティウス12世時代の1696年に自由港となったが、その後ゴート族やサラセン人に侵され、1849年にフランスにより占領された。その後1870年に解放された。
[編集] 日本との関わり
チヴィタヴェッキアは日本との関わりが深い街である。
- 1615年に慶長遣欧使節団を率いる支倉常長が日本人として初めてチヴィタヴェッキアに上陸した。
- 支倉常長が出発した地である縁で、現在石巻市と姉妹都市となっている。
- 海岸沿いに日本聖殉教者教会が存在する。
- これら日本との関わりを反映して、町には「日本通り」が存在する。
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