ディアベリ変奏曲
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ディアベリ変奏曲(ディアベリへんそうきょく)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲したピアノ曲。1823年に完成された晩年の傑作である。
[編集] 曲名等
- 原題:33 Veränderungen über einen Walzer von Diabelli(ディアベリのワルツによる33の変奏曲)
- 作品番号:120
[編集] 作曲の経緯
1819年に作曲家で、出版業者をしていたアントニオ・ディアベリは、自らの主題によって、当時名前の売れていた作曲家50人に1人1曲ずつ変奏を書いてもらい、長大な作品に仕上げようと企画した。その中にはカール・チェルニーやフランツ・シューベルトや、当時11歳だったフランツ・リストもいた。そこにベートーヴェンも選ばれたわけであるが、当初ベートーヴェンはその主題のくだらなさのため、やる気が起きず、仕事はしばらくの間放置された。しかし、彼は1822年にその主題によって突然、変奏曲を作曲し始めた。そして演奏時間50分以上を要す、33もの長大な変奏曲に仕上げてしまった。そのような経緯からこの作品は、ディアベリの当初の企画とは別に、単独で出版されることになった。
[編集] 曲の構造
ベートーヴェンは、晩年になって、変奏曲を自らの重要なジャンルにおくことになった。ソナタの楽章においては好んでその形式が用いられた。そしてその作風は、初期のものと比べると旋律や音型を装飾していく装飾変奏から、変奏が作品の性格そのものに及ぶ性格変奏へと変化した。
第1変奏から拍子も変化し、新しいリズムが与えられた。その後、どんどん新しい音型が登場し、対位法的なもの、瞑想的なもの、短調など、様々に曲想が変化する。それらはある意味偶然的で気まぐれなものである。しかし、作曲者の変奏技法を極限までに追求した、集大成の作品である。
特に第22変奏には、alla "Notte e giorno faticar" di Mozartと記され、ベートーヴェンはディアベリの主題と、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の中の「夜も昼も苦労して」の旋律を結びつけた。
第29変奏からは緩やかな短調の変奏が続き、最も遅い変奏のあとにフーガの第32変奏が続く。
第32変奏では変ホ長調のフーガとなる。ここでは、主題はもはや動機レベルにまで分解されていて、元のワルツの面影はほとんどない。本来ならここで曲が終わるのであるが、斬新な転調をしたあと、第33変奏として中庸なメヌエットが奏される。これは、ヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲が30の変奏を終えた後に、再び静寂なアリアの回帰が行われることに似ているので、ベートーヴェンはそれを意識したのではないかとも思われる。全曲は第33変奏のメヌエットのあと、コーダにおいて音価が細分化されていき、消えるような音階の上昇のあと、主和音の強奏により閉じられる。