トレヴァー・ラビン
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トレヴァー・ラビン(Trevor Rabin、1954年1月13日 - )は南アフリカ共和国出身のロック・ギタリスト、シンガーソングライター及びマルチ・プレイヤー。また映画音楽の作曲・構成も務める。
[編集] 経歴
父親がヨハネスブルグ・シンフォニーの第一バイオリン奏者、母親がピアノ教師という環境の中、自然に音楽に親しみ、5歳でピアノを習い始め、12歳でギターを始める。
当初は母国でアイドル性の強いラビットというハードロック・バンドに在籍して活動を始めた。2枚のアルバムを発表した後に解散。ラビンはアメリカに渡り、ソロ活動で認知度を広めていく。1982年、エイジアのプロジェクトがキッカケ(詳細は不明)でイエスのメンバーの知己を得た。
その直後、ジミー・ペイジとのXYZの構想が実現に至らなかったクリス・スクワイアから、新しいバンドシネマの結成を打診され参加。このシネマが作り始めたデビュー・アルバムに、ジョン・アンダーソンがボーカルとして加わり、1983年再結成イエスの『ロンリー・ハート』として発表される。しかしその後、イエスの中で紆余曲折があり、結果として1994年の『トーク』を最後に脱退。映画音楽の道に転身し、「アルマゲドン」や「ディープ・ブルー」、「タイタンズを忘れない」、「ナショナル・トレジャー」など、数々の作品を手がけている。
[編集] 評価
絵に描いた様な「賛否両論」を受けている。アメリカや日本でも大ヒットした『ロンリー・ハート』は、実質的にはラビンの作品であり、その才能は疑い様が無い。ギタリストとしても極めて優秀で、特にイエスのアルバム『ビッグ・ジェネレーター』でのプレイはギター専門誌を中心に高い評価を受けた。さらにヴォーカリストとしても声量、音程、個性とも申し分ないものを持っており、イエスのアルバムでも数多くリード・ヴォーカルを取っている。作曲家としても数多くの名曲を書いた。
が、70年代のイエスの典型的なプログレ・サウンドを求める旧来のファンからは非難ごうごうだった。また、ジョン・アンダーソンとの根本的な音楽性の対立の溝は深刻であり、ABWHを初め軋轢に基づいた多くのトラブルが発生している。
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