エイジア
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エイジア | |
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![]() スティーヴ・ハウ(左)とカール・パーマー(2006年9月10日) |
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出身地 | イギリス |
活動期間 | 1982年 - |
ジャンル | プログレッシブ・ロック ハードロック |
メンバー | ジョン・ウェットン スティーヴ・ハウ カール・パーマー ジェフ・ダウンズ |
旧メンバー | グレッグ・レイクほか |
エイジア(Asia)はイギリスのロックバンド。1982年デビュー。1980年代前半を代表するスーパーグループとして君臨した。幾多のメンバー・チェンジを繰り返しながら現在も活動中。
目次 |
[編集] 来歴
1970年代末から1980年代初頭、数々のプログレッシヴ・ロック・バンドの解散と、若く才能溢れるミュージシャンの台頭が契機となり、エイジア結成のプランは流動的に動き始めた。イエスのマネージャーだったブライアン・レインの仲立ちによりジョン・ウェットン(vo.b/元キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、U.K.)とスティーヴ・ハウ(g.vo/元イエス)が一緒に曲作りをするようになり、デビューアルバムの約半分を書き上げた。、サイモン・フィリップス(ds)が当初務めたドラマーの座はカール・パーマー(ds/元EL&P)のものとなり、ハウの紹介によりジェフ・ダウンズ(kbd/元バグルス、イエス)が加入。バンド名はブライアン・レインが提案したAsiaとなった。結成メンバーの他に候補として挙ったアーティストは、ロイ・ウッド(vo.Bass)、アラン・ホワイト(ds)、トレヴァー・ラビン(g.vo)、ロバート・ベリー(g.vo)など。
各メンバーの実績や知名度などから最後のスーパーグループと呼ばれた。結成時のソング・ライティングは、アルバム制作の頃までにはウェットン/ダウンズのチームが出来上がり、プログレのエッセンスを鏤めた3分半のポップ・ソングというスタイルが確立された。1982年3月8日にリリースされたファースト・アルバム『Asia(詠時感~時へのロマン)』はチャートのトップ30に食い込み、シングル『Heat Of the Moment』は全米ポップチャート4位、全米ロックチャート1位となった。数ヶ月後には全米NO.1を9週連続キープ、全世界で1500万枚のセールスを達成する快挙を成し遂げた。70年代に流行した長いソロパートを迎え、新しいプログレッシブ・ロックのあり方を呈示し、70年代に彼ら自身がいたどのバンドよりも巨大な売上を果たした。
翌1983年にはセカンド・アルバム『アルファ』を発表。完全にウェットン/ダウンズの作曲チーム中心となり初期の中心メンバーであるハウが作曲に参加した作品が入っていない。シングル『Don't Cry』が全米ポップチャート10位、全米ロックチャート1位となりアルバムも全米1位となる。しかし『Asia』の売上の1/5ほどになってしまい、ツアーの客も減ってしまった。バンド内で責任のなすりあいが始まり、中心メンバーのウェットンが1983年の初来日ツアー前に突如脱退。2007年の来日前にウェットンが語るところによると、脱退はジョンの酒癖の悪さや服装・生活態度に不満を持ったマネジメントサイドによる解雇だったとされる。凄腕のウェットンの代わりをできるのはベースもボーカルも絶品で音域や声質も似ているグレッグ・レイク(vo.b/元EL&P)以外いないということで代役を依頼。歌詞をじっくり覚える時間もなかったグレッグはツアー中、モニターに表示される歌詞を見ながら歌うことになったが、長年同じバンドにいたカールを始め他のメンバーとも息が合い、コンサートは素晴らしいものとなり大成功となった。MTVの企画で、日本武道館公演の中の1回を全世界に生中継するというイベント『ASIA in ASIA』も行われた。この公演はアメリカの放送時間のため平日の昼間に行われ、演奏時間も短かったため入場料は安く設定され、後にビデオでも発売された。このままグレッグがエイジアに在籍しつづけるのかとファンは思ったが、1984年に再びウェットンが復帰している。
1984年、サードアルバムのリハーサル中にハウが脱退。後任のギタリストにはにはジョン・ウェットン主導の人事でマンディ・メイヤーが参加している。25曲録音した中から10曲を厳選し1985年にサード・アルバム『アストラ』を発表する。この作品はサウンド的には他の作品に比べエレクトリック・ギターのハードさがやや強調されたものとなった。シングル『Go』は全米ポップチャート46位、全米ロックチャート7位にとどまり、アルバムは全米67位とこれまで巨大な成功とは程遠いものとなった。ウェットンは「なぜ急に売れなくなったのかわからない、あれだけの作品で売れなければ今後何を作ればいいんだ」と語り、失意の元、バンドは活動を凍結、事実上の解散状態となった。
1989年に、当時ゲフィン・レコードのA&Rであったジョン・カロドナーの提案で再結成を実現。A面5曲が過去のヒット曲を並べたベスト盤、B面4曲が新曲という変則アルバム『ゼン・アンド・ナウ(Then&Now)』も発表するが、そこにスティーヴ・ハウは参加せず、ギターパートの担当はアルバム、ツアーともにスティーヴ・ルカサー(TOTO)などのサポート・メンバーで取り繕い、この時点から長い期間ギタリストは安定しなかった。以降も、実質的リーダーとなったジェフ・ダウンズ以外のメンバーが定着せず、即席バンドの中でオリジナル・メンバーの誰かがわずかに客演する、或いは一時的に再集結するというような不安定な期間が続いた。その後、ダウンズはジョン・ペイン(vo.b/元エレクトリック・ライト・オーケストラ)という新たな盟友を得て活動を続けた。
2000年代中ごろ、ジョン・ウェットンとジェフ・ダウンズは偶然の再会から共演アルバムのレコーディングをはじめ、2005年4月には"ウェットン/ダウンズ(Wetton/Downes)"名義でアルバム『アイコン(iCon)』をAVALONレコードからリリース。
このころからジョンとジェフの二人を中心にオリジナルメンバーでのエイジア再結成に向けた話し合いが行われ、2006年4月にはジェフ・ダウンズがジョン・ペインとのパートナーシップを解消する旨を発表。同時にオリジナルラインナップ(ジョン・ウェットン、ジェフ・ダウンズ、スティーヴ・ハウ、カール・パーマー)でのアルバム製作・コンサートツアーを実施する方向であることも正式に発表された。
一方、ジョン・ペイン体制下で製作が予定されていたニューアルバムARCHITECT OF TIMEについてはリリースが延期となってしまった。
ウェットン/ダウンズはその後も2006年にライヴアルバム『アイコン・ライブ(iCon Live~Never In A million years)』、『ルビコン(iConⅡ)』(2006年10月)をリリースした。スティーヴ・ハウとカール・パーマーを加えたエイジアとしてのアルバムはまだリリースされていない。二人はスティーブ・クリスティ(g)、ジョン・ミッチェル(ds)を加えたアイコンバンドでのツアーと前述の再結成エイジアでのツアーを平行して行っており、アイコンバンドが先に来日を果たしたが、再結成エイジアも2006年中に全英及び全米ツアーを終え、3月にはオリジナル・ラインナップでは初となる来日ツアーを果たしている。
一方、2006年までエイジアのメンバーとなっていたジョン・ペイン、ガスリー・ゴーヴァン(g)、ジェイ・シェレン(ds.per)の三人も、奥本亮(key/スポックス・ビアード)を加え新ユニットGPSを結成(バンド名は三人のイニシャルのアナグラム)。同年にアルバム『Window to The Soul』でデビューしている。ペインとゴーヴァンはプロモーションのため2007年に来日し、4月6日に秋葉原 dress TOKYOでライヴを行う。
[編集] メンバー
[編集] オリジナルメンバー
- ジェフ・ダウンズ"Geoffry Downes"(キーボード):公式には一度も脱退していない。エイジアのサウンドセンスに大きな影響を及ぼしてきた元バグルス→元イエス→エイジアのキーボーディスト。
- 参加アルバム
- ASIA
- ALPHA
- ASTRA
- THEN & NOW
- LIVE IN MOSCOW 1990
- AQUA
- ARIA
- ARENA
- ARCHIVA 1
- ARCHIVA 2
- AURA
- SILENT NATION
- 参加アルバム
- ジョン・ウェットン"John Wetten"(ヴォーカル・ベース):2nd発売後に一時脱退、1991年に再び脱退し1992年の4th『アクア』以降は不参加だった。
- 参加したアルバム
- ASIA
- ALPHA
- ASTRA
- THEN & NOW
- LIVE IN MOSCOW 1990
- ARCHIVA 1
- ARCHIVA 2
- 参加したアルバム
- スティーヴ・ハウ"Steve Howe"(ギター):2nd発売の後ジョン・ウェットン復帰後脱退、以降復帰していなかったが4th『アクア』でサポート・メンバーとして参加。
- 参加アルバム
- ASIA
- ALPHA
- THEN & NOW(A面のみ)
- AQUA(サポート参加)
- ARCHIVA 1
- ARCHIVA 2
- 参加アルバム
- カール・パーマー"Carl Palmer"(ドラム):元EL&P。ジェフ・ダウンズに次いで在籍期間が長い。4th『AQUA』を最後に脱退。2006年の再結成計画発表時には「計画を聞いていない」と発言。一部のファンの不安をあおったがツアーには無事参加している。
- 参加アルバム
- ASIA
- ALPHA
- ASTRA
- THEN & NOW
- LIVE IN MOSCOW 1990
- AQUA
- ARCHIVA 1
- ARCHIVA 2
- 参加アルバム
[編集] 途中加入のメンバー、ゲスト
- グレッグ・レイク(ヴォーカル・ベース):1983年にイベント『ASIA in ASIA』のみ参加。1992年4th『AQUA』にも"Love Under Fire"作曲でのみ参加(元キング・クリムゾン、EL&P)。
- マンディ・メイヤー(Mandy Meyer, ギター):1983年参加、2代目ギタリスト。1986年バンド活動休止ののちは不参加(後にゴットハードへ加入)。
- ジョン・ヤング(キーボード):89年再結成時のドイツツアーに参加。2000年にパーマーとウェットンが結成したバンド"Qango"にも参加。
- アラン・ダービー(ギター):89年再結成時2回行われたドイツツアーのうち1回目でプレイ。
- ホルガー・ラリッシュ(ギター):89年再結成時2回目のドイツツアーに参加。
- ロン・コミー(Ron Komie, ギター):1990年『Then&Now』中一曲に参加。
- スコット・ゴーハム(ギター):同上。
- スティーヴ・ルカサー(ギター):同上、TOTOの中心メンバー。
- パット・スロール(Pat Thrall, ギター):1990年『Then&Now』ツアーに参加、3代目ギタリスト。ライヴ・イン・ノッティンガム、ライヴ・イン・モスクワにも出演。のちに脱退。米カリフォルニア州サンフランシスコ出身。(元パット・トラヴァーズ・バンド、ヒューズ/スロール)
- アル・ピトレリ(Al Pitrelli, ギター):1992年『AQUA』より参加。正式加入としては4代目ギタリスト(後にサヴァタージ、メガデスへ加入)。
- マイケル・スターギス(Michael Sturgis, ドラム):『Then&Now』にサポートドラマーとして参加。
- サイモン・フィリップス(Simon Phillips, ドラム):4Th『AQUA』にサポートドラマーとして参加(元ジューダス・プリースト、後にTOTOへ加入)。
- ジョン・ペイン(John Payne, ヴォーカル・ベース、リズム・ギター):4th『AQUA』より加入。正式なベース兼ヴォーカルとしてはジョン・ウェットンに替わる2代目。以降2006年まで、ジェフ・ダウンズ主導となったバンドで大きな役割を果たしていく。ELOに短期間在籍。
- アンソニー・グリン(Anthony Glynne, ギター):『AQUA』にサポートギタリストとして参加。
- ヴィニー・バーンズ(Vinny Burns, ギター):『AQUA』のコンサートツアーに参加(後にTENへ加入)。
- イアン・クライトン(Ian Crichton, ギター)
- アジス・イブラヒム(Aziz Ibrahim, ギター)
- 布袋寅泰(ギター):1996年『ARENA』に参加。
- エリオット・ランドール(Elliot Randall, ギター):『ARENA』に参加。ロック、ジャズを問わず幅広く活躍する人気ギタリスト。
- トニー・レヴィン(ベース):2001年『AURA』にゲストとして参加。キング・クリムゾンなどで知られるプログレの大御所の一人。
- ヴィニー・カリウタ(Vinnie Colaiuta,ドラム):『AURA』にゲストとして参加。バークリー音楽院出身でフランク・ザッパバンドからキャリアをスタートさせたベテラン。ハービー・ハンコックの作品などにも参加している。
- ルイス・ジャーディム(Luis Jardim, パーカッション)
- ガスリー・ゴーヴァン(Guthrie Govan, ギター):2001年『AURA』セッション中に加入。2004年『Silent Nation』に参加。ジョン・ペインらとGPSを結成。
- クリス・スレイド(Chris Slade, ドラム):2004年『Silent Nation』に参加(元AC/DC、ユーライア・ヒープ)。
- ジェイ・シェレン(Jay Schellen, ドラム):『Silent Nation』製作中にジョン・ペインらと知り合い、2005年スレイドの脱退に伴い加入(元ハリケーン、バッド・フィンガー、のちにジョン・ペインらとGPSを結成)。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] オリジナル・スタジオアルバム
- 1982年 詠時感~時へのロマン ASIA
- 1983年 アルファ ALPHA
- 1985年 アストラ ASTRA
- 1992年 アクア AQUA
- 1994年 アリア ARIA
- 1996年 アリーナ ARENA
- 2000年 オーラ AURA
- 2004年 サイレント・ネイション SILENT NATION
エイジアのスタジオアルバムのタイトルは、長らく『A…A』という形式であったが、2004年発表の『サイレント・ネイション』によってその法則は崩れた。
[編集] ベスト盤
- 1990年 ゼン・アンド・ナウ THEN & NOW(過去のヒット曲と新曲折衷の変則的ベスト)
- 1996年 アンリリースド・トラックス VOL.1 ARCHIVA 1
- 1996年 アンリリースド・トラックス VOL.2 ARCHIVA 2
- 2001年 ベリー・ベスト・オブ・エイジア The very best of ASIA
- 2006年 エイジア・ゴールド ASIA GOLD
- 2006年 Asia:Deffinitive Collection(日本盤未発売。)
[編集] ライヴ盤
- 1991年 ライヴ・イン・モスクワ1990 LIVE IN MOSCOW 1990(現在はDVDのみの発売)
- オフィシャル・ブートレッグシリーズ:現在までに82、83年と90年代のライヴ音源計4作が発表されており2007年春頃には2006年再結成UKツアーでのリヴァプール、グラスゴー、ロンドン3作品が発売される。(先行予約を受け付けるオンラインショップ(英語版))
- 2007年 ライヴ・イン・ノッティンガム1990 LIVE IN NOTTINGHAM 1990(DVD『アンドロメダ…』のCD版として1997年にリリースされたものの再発。当時オミットされていた楽曲が完全な状態で聴ける。)
[編集] DVD
- ライヴ・イン・モスクワ1990 LIVE IN MOSCOW 1990
- アンドロメダ~エイジア・ライヴ1990 ANDOLOMEDA
- 3/8の新宿公演で撮影された映像がDVD化される予定。
[編集] VHS/LD
- ライブ・イン・武道館/エイジア・イン・エイジア ASIA IN ASIA
- 1983年12月6日の日本武道館でのコンサートが、アメリカのMTVによって同時衛星中継された。その時のライブ映像であり、その後、VHSビデオ・テープ及びレーザーディスクで発売された。一時的に離脱したジョン・ウェットンに代ってグレッグ・レイクがベースとボーカルを担当している。
[編集] 日本公演
- 1983年 ASIA in ASIA
- 1990年
- 1992年
- 6月5日,6日 NHKホール
- 1994年
- 6月15日 名古屋市公会堂
- 6月17日 東京厚生年金会館
- 6月19日 簡易保険ホール
- 6月21日 大阪フェスティバルホール
- 2007年 The All Four Original Members of ASIA Japan Tour
- 3月4日 愛知県勤労会館
- 3月5日 大阪厚生年金会館 大ホール
- 3月7日,8日 東京厚生年金会館 大ホール
- 3月9日,10日,11日 渋谷C.C.Lemonホール
[編集] 関連項目
- プログレッシブ・ロック
- 産業ロック
- スーパーグループ
- バグルス
- イエス
- エマーソン・レイク&パーマー
- キング・クリムゾン
- GTR
- Wetton/Downes
- GPS
- ジョン・カロドナー
- MTV
- ロジャー・ディーン
[編集] 外部リンク
- エイジア旧公式サイトとGPS公式サイトへの玄関ページ_(英語)
- ジェフ・ダウンズ公式サイト_(英語)
- ジョン・ウェットン公式サイト_(英語)
- エイジア再結成公式特集サイト_(英語)
- ウドー音楽事務所の来日公演公式ページ
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