映画音楽
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映画音楽(えいがおんがく)とは、映画の中で使用される音楽をいう。映画作品においては脇役的な存在と思われがちであるが、その作品を通して貫かれている主題、登場人物の感情や性格、場面の状況などを、音楽という抽象的な表現形式によって視聴者に伝達する、重要な役割をもつ。
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[編集] 概要
[編集] 歴史
映画に音声がついたのは1920年代にトーキーが発明されてからである。しかし、それ以前のサイレント映画を上映する際にも、映画館内でピアノなどによる音楽を流していた。時には、予算のある映画の場合、オーケストラピットでフルオーケストラの伴奏がつくこともあった。
世界で最初の映画音楽は1908年、サン=サーンスが「ギーズ公の暗殺」(アルベール・カルメット監督のサイレント映画)のために作曲した音楽と言われる。他にも、ショスタコーヴィチが1929年に「新バビロン」、エリック・サティが1924年に「幕間」を作曲するなど、初期の映画音楽はクラシック音楽の作曲家が主な担い手であった。
最も有名な映画音楽家はアメリカのジョン・ウィリアムズであろう。日本では宮崎駿や北野武の映画を担当する久石譲、ゴジラのテーマ曲を作曲した伊福部昭などがよく知られている。また、坂本龍一、武満徹などは海外でも評価が高い。
[編集] 作曲の過程
一般的に映画における音楽は、メインテーマと呼ばれる最も重要視される音楽を軸に構成される。このメインテーマは歌が入ることもあれば器楽だけのこともある。映画では一般的に最初または最後(多くは後者)にこのメインテーマが通して演奏されることが多い。歌ものの場合は、他の伴奏部分の器楽音楽とは別の作曲家あるいはグループが担当することも多い。
メインテーマに対して、恋愛描写などポジティブに考えて重要なシーン、戦闘や追跡などの緊迫シーンの2-3曲程度が、その映画の中での代表的な音楽として扱われる。これらの代表曲は親しみやすい作風であるとか、あるいは予算をかけてオーケストラを使うなど、他の曲よりも優遇される。またそれらの曲の主題を基にして、他の場面の音楽をそれらの変奏によって作曲していくことも多い。他の場面の曲は数秒程度のものもあり、M1, M2という具合に番号が振られ、秒数指定がある。作曲家はその秒数に従って音楽を当て嵌めていく。たまに監督から「何秒目にジャン!という大きな音を入れて下さい」など具体的な音楽のイメージを指示されることもある。これらの小さな秒数の曲には予算的理由からオーケストラ編成などを用いることは少なく、大部分は小編成のアンサンブルや電子楽器などが用いられる。
様々な様式の音楽が同時に用いられることも多く、秒数にあわせて的確な表現が求められることから、歌曲のみを担当するポップスの作曲家(いわゆるアーティストと呼ばれる)やグループよりは、経験を積んだ専門的な職業作曲家が担当することが多い。
[編集] その他の劇伴音楽との差異
映画音楽は劇伴音楽の範疇に含まれ、似たような仕事にテレビやラジオのドラマ(アニメなども含む)のための音楽がある。ただしテレビ番組の音楽は、一部のドラマ(予算が潤沢な場合が多い)または連続ドラマ・連続アニメでも毎回繰り返される重要なシーンは、映画音楽と同じように秒数指定で作られるものの、それ以外の連続物のドラマや多くの連続放映アニメ、またバラエティ番組などは「録り溜め」と言ってあらかじめいくつかの曲を録音し、場面に合わせてそれらの一部をカットしたり繰り返すことによって、画面に当て嵌めるやり方が多い。
演劇の音楽は映画と違って上演の際の秒数が完全に固定されていないため、映画音楽とは勝手が異なる。オペラでは譜面上に演技の指定を書くなど、作曲家が書いた楽譜のテンポによって舞台進行が全て決定し、実際の上演では指揮者の采配に全てがゆだねられるが、映画音楽はあらかじめ決まった秒数に音楽を当て嵌めていくと言う点で作曲の過程が全く異なる。
[編集] 現代音楽との関わり
映画音楽については、そのほとんどが娯楽音楽に含まれるという認識が一般的だが、現代音楽の作曲家が映画音楽を手がける例もあり、そのうちのいくつかは(その映画作品そのものの芸術的・先鋭的な姿勢に呼応して)先鋭的な音楽をつける場合がある。こうした音楽は現代音楽と認識される場合がある。こうした例は現代音楽に限らず、トーキー映画が登場した20世紀初頭の近代音楽においても見られる(あるいはサイレント映画の伴奏も含む)。
近代での具体例
- 映画「アレクサンドル・ネフスキー」監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ(後に同名のカンタータにまとめた)
- 映画「美女と野獣」 監督:ジャン・コクトー/音楽:ジョルジュ・オーリック
現代での具体例
また、現代音楽の既存の作品が映画のBGMとして流用される場合もある。
具体例
- 映画「2001年宇宙の旅」 監督:スタンリー・キューブリック/二次使用された音楽:ジェルジ・リゲティ「ルクス・エテルナ」および「アトモスフェール」
現代音楽やそれに近い先鋭的な音楽が当てはめられる映画は、往々にしてホラー映画など恐怖を題材とした映画が多く、またホラー映画製作中に最適なBGMや作曲家を求めて現代音楽にたどり着く例もある。「エクソシスト」を監督したウィリアム・フリードキンは、当初予定されていたラロ・シフリンのメロドラマ的な映画音楽を起用せず、プログレッシヴ・ロックと現代音楽の境に位置するマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」を起用して観客に強い印象を与えた。
現代音楽の作曲家が映画音楽の仕事を手がける場合、その動機には収入もあるが、演奏会用純音楽ではなかなか実験できない新しいアイデアを、映画音楽でなら試みることができるという理由もある。それはオーケストレーションの実践であったり、あるいはそれまで作曲家が使ったことのない楽器や音響技術を試みる場合もある。
日本では伊福部昭、早坂文雄などの先例に続き、武満徹、池辺晋一郎などが映画音楽に多くかかわっている。武満の例では、琵琶や尺八を最初に用いたのは映画音楽の中であり、その後に代表作「ノヴェンバー・ステップス」など純音楽でも邦楽器を進んで用いるようになった(詳細は武満徹の項を参照)。また映画音楽に限らず、演劇の舞台音楽やテレビ番組(特にドラマやドキュメンタリー番組など)の音楽などを手がける場合もある。珍しい例ではないが、ベルント・アロイス・ツィンマーマンは一時期、収入がそのような音楽の仕事のみになったことがある。
近年のマニエリスムの音楽の作曲家は、映画音楽そのものを純音楽として演奏会で上演する場合も多い。映画用の音楽だから普段の作風とは別にわかりやすいものを作るという考えではなく、もはや映画音楽と自己の純音楽との作風がほとんど大差ないといえる。
具体例
- 映画「ピアノ・レッスン」 監督:ジェーン・カンピオン /音楽:マイケル・ナイマン
- 映画「クンドゥン」 監督:マーティン・スコセッシ/音楽:フィリップ・グラス
- 映画「戦場のメリークリスマス」 監督:大島渚 /音楽:坂本龍一
- 映画「風の谷のナウシカ」以降の宮崎駿監督のアニメ映画/音楽:久石譲(彼はこの仕事の成功により、現在では映画音楽の作曲家としての名声のほうが高い)
- 映画「レッド・バイオリン」 監督:フランソワ・ジラール/音楽:ジョン・コリリアーノ
映画音楽が折衷主義的なポジションを得た要因としては、オーストリアから亡命したエーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトがハリウッドで後期ロマン派の様式による音楽を書き続けたことが非常に大きい。彼がこのような仕事をもし引き受けていなかったら、映画音楽はマニエリスムの音楽の巣窟にはならなかったという可能性が指摘されている。カリフォルニアで教鞭をとったアルノルト・シェーンベルクのレッスンを受けた者の多くが、ハリウッドで映画音楽の製作に関わっているのではないかという説があるのは興味深い。原則的に未聴感ではなく既聴感に訴えかける産業がこのような経緯で成立している。
[編集] エピソード
[編集] 伊福部昭の映画音楽デビュー作
映画「ゴジラ」の音楽などで知られる作曲家の伊福部昭は、デビュー映画「銀嶺の果て」において、楽しい場面に悲しい音楽をつけて監督の谷口千吉と対立したことが知られている。映画の一部分だけでなく全体を見渡して音楽的表現を考えての決断であり、最終的には伊福部のアイデアがそのまま取り入れられた。これについては伊福部昭の項に詳しく書かれているので、そちらを参照されたし。
[編集] 黒澤明と武満徹
黒澤明は、映画の脚本段階から既存のクラシック音楽などの曲を既にイメージ曲として想定している事も多く、作曲家にはそのイメージに沿った音楽を作ることを求めた。(「影武者」以降はラッシュフィルムにそれらの音楽を付けた状態で作曲家に見せている。)「乱」においては「ノヴェンバー・ステップス」を聞きながら脚本を執筆していた黒澤は、事前の打ち合わせでは日本の伝統音楽のようなイメージでと要望し、武満もそのつもりで用意していた。ところが実際にはマーラーの交響曲(「大地の歌」や「巨人」)を指定される事になり、そのような既成曲で作曲に枠をはめられる事を嫌った武満は、一時は降板を申し出るほど激しく対立した。かたや映画界の天皇と呼ばれ、かたや現代音楽において日本を代表する世界的な大作曲家だったため、両者とも互いの意見を主張し、争いは容易に収まらなかった。最終的に武満が、黒澤のイメージに近づいて譲歩(ただし、武満が一方的に譲歩したわけではなく、黒澤が武満に折れた部分もある。)したものの、黒澤に対し「今後あなたの映画には関わるつもりはない」と言って袂を分かった。武満が作詞作曲した「明日ハ晴レカナ曇リカナ」は、この「乱」のダビング終了後に「黒澤組の歌」として自らピアノの弾き語りで披露したもの。天気の心配をしている歌詞は、映画のロケ撮影の天気の心配であるのはもちろん、黒澤監督の「ご機嫌」の心配をしながら仕事をしている黒澤組スタッフの事でもある。
[編集] 映画音楽家
[編集] 日本
- 伊福部昭
- 芥川也寸志
- 武満徹
- 佐藤勝
- 山本直純
- 甲斐正人
- 池辺晋一郎
- 井上堯之
- 本多俊之
- 三枝成彰
- 朝川朋之
- 小六禮次郎
- 丸山和範
- 久石譲
- 星勝
- 川崎真弘
- 和田薫
- 服部隆之
- 本間勇輔
- 周防義和
- 千住明
- 大島ミチル
- 松本晃彦
- 天野正道
- 湯浅譲二
- 松田岳二
- 冷水ひとみ
- 冨田勲
- 加古隆
- 鈴木慶一
- 渡辺宙明
- 早坂文雄
- 坂本龍一
- 羽田健太郎
- 山下康介
- 菅野茂
- 栗山和樹
- 長谷部徹
- 木下忠司
- 眞鍋理一郎(真鍋理一郎)
- 林光
- 松村禎三
- 八木正生
- 伊藤昇
[編集] 海外
- デヴィッド・アーノルド
- マルコム・アーノルド
- ジョン・ウィリアムズ
- ダニー・エルフマン
- ジェリー・ゴールドスミス
- エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト
- ハンス・ジマー
- モーリス・ジャール
- ハワード・ショア
- マックス・スタイナー
- マイケル・ナイマン
- ランディ・ニューマン
- バーナード・ハーマン
- エルマー・バーンスタイン
- スコット・ブラッドリー
- マルコ・ベルトラミ
- ジェームズ・ホーナー
- ヘンリー・マンシーニ
- エンニオ・モリコーネ
- ガブリエル・ヤーレ
- 林強
- ミシェル・ルグラン
- リチャード・ロジャース
- ニーノ・ロータ