ドイツ植民地帝国
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ドイツ植民地帝国 (独Deutsche KolonienもしくはDeutsche Schutzgebiete、英German colonial empire)は主に19世紀後半から20世紀前半にかけてドイツ帝国が保有していた旧植民地の総称である。統一国家の建設に他の西欧諸国に比べ遅れをとったため、18世紀のプロイセンによるグロース・フリードリヒスブルクなどがあったものの本格的な海外植民地の建設も遅い時期になった。統一ドイツ帝国の成立後、アフリカ、太平洋などに海外植民地を建設し、ヴィルヘルム2世のもと積極的な海外進出を行った。
第一次世界大戦においては、東アフリカを除くドイツ領植民地は英海軍による海上封鎖などにより補給が行えずほどなく連合軍に占領されているが東アフリカだけはパウル・フォン・レットー・フォアベック将軍率いる現地人を中心としたゲリラ部隊が終戦まで抵抗を続けた。第一次世界大戦敗戦の結果、ドイツ領植民地は英仏日その他に分割され消滅した。
[編集] 概要
ドイツは19世紀後半以降以下の植民地を保有した。
- ドイツ領ニューギニアDeutsch-Neuguinea 1885年 - 1918年 今日のパプアニューギニア北部地域。ビスマルク諸島。ミクロネシア、マーシャル諸島、パラオ、マリアナ諸島、ナウル。
- ドイツ領南西アフリカDeutsch-Südwestafrika 1884年 - 1918年 今日のナミビア。総督はアドルフ・リュデリッツ。
- ドイツ領東アフリカDeutsch-Ostafrika 1885年 - 1918年 今日のタンザニアの大陸部分(タンガニーカ)、ルワンダ、ブルンジ。総督はカール・ペータース。
- カメルーンKamerun 1884年 - 1918年
- トーゴ(トーゴラント)Togo 1884年 - 1918年 今日のトーゴ及びガーナ東部
- ドイツ領ヴィツDeutsch-Witu 1885年 - 1890年 今日のケニアの一部。ヘルゴランド=ザンジバル条約によりイギリス領になる。
- サモア Samoa 1899年 - 1918年
- 膠州湾 Kiautschou 1898年 - 1918年 99年間の租借地。今日の青島。