オランダ海上帝国
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オランダ海上帝国(オランダかいじょうていこく、英語:Dutch Empire)とは、17世紀から18世紀にかけてオランダが本国及び植民地を拡大して築いた植民地支配及び交易体制を指す。
17世紀初頭、ネーデルラント連邦共和国はオランダ東インド会社を設立、東インドに進出してポルトガルから香料貿易を奪い、さらにオランダ西インド会社も設立するなどして次第に植民地を拡大し、黄金時代を迎えた。17世紀から18世紀にかけて植民地主義大国として飛躍したことから、本国及び植民地一帯を指してオランダ海上帝国という。
しかし度重なる英蘭戦争で北アメリカの植民地を奪われ、更に南アフリカの植民地も超大国に成長したイギリス帝国に敗れて失うなど、列強としてのオランダの国際的地位は低迷していった。
最終的には、オランダ領東インドとオランダ領ギアナ(スリナム)などの植民地が残り、20世紀半ばまで保持していた。第二次世界大戦で東インドは大日本帝国の侵攻を受け、またオランダ本国はドイツに占領された。第二次世界大戦の終結後、オランダはオランダ領東インドを復活させようと軍を送り込むが、インドネシアの独立運動の激化に抗し切れず、植民地を手放すことになった。
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[編集] オランダの植民地
[編集] オランダ領東インド
オランダ領東インドを参照。
[編集] 台湾
オランダ統治時代 (台湾)を参照。
[編集] セイロン島(スリランカ)
スリランカの歴史を参照。
[編集] ケープ植民地
アフリカーナーを参照。
[編集] 北アメリカ
ニューアムステルダム、オールバニ (ニューヨーク州)を参照。
[編集] オランダ領ギアナ
スリナムを参照。
[編集] オランダ領アンティル
オランダ領アンティルを参照。
[編集] オランダ領ブラジル
かねてからブラジルの砂糖産業から巨利を得ていたオランダは、ポルトガル領ブラジルの直接支配を図る。1621年西インド会社を設立。1624年ブラジル北東部の中心都市バイーア州サルバドールを攻撃し、1年後に撤退。次いで1630年ペルナンブーコ州レシフェ(オリンダ)を攻撃、1641年までにマラニョン州にまで版図を拡大するに到った。植民地住民に寛容であったナッサウ=ジーゲン伯ヨハン・マウリッツがオランダ領ブラジルの総督として赴任し黄金期を築くも、伯が西インド会社と対立して辞任すると、問題が表面化。1645年農園主たちが反乱。1654年西インド会社はブラジルから撤退した。
現在、ブラジルにおけるオランダの影響は、オリンダという地名(別説もある)やその北部に位置する城砦跡(イタマラカ島のオレンヂ砦)として残っている。