ハズバンド・キンメル
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ハズバンド・エドワード・キンメル(Husband Edward Kimmel, 1882年2月26日 - 1968年5月14日)は、第二次世界大戦期のアメリカ合衆国海軍軍人。ケンタッキー州ヘンダーソン生まれ。
1904年アナポリス海軍兵学校卒業。太平洋戦争開戦時の階級は海軍大将であり、米太平洋艦隊司令長官兼合衆国艦隊司令長官であったが、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃の被害への責任から司令長官を解任され少将に降格した。後に名誉回復。妻はドロシー・キンメル。三人の息子と四人の娘がいた
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[編集] 真珠湾攻撃の引責
大日本帝国海軍による真珠湾攻撃によりアメリカ太平洋艦隊の戦艦とハワイ航空基地に甚大な被害を被ったアメリカは陸軍中将ウォルター・ショートハワイ方面陸軍司令長官と共に彼を降格処分にした。キンメルの後任にはチェスター・ニミッツが就任した。