バンドン会議
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バンドン会議(Bandung Conference)とは、1955年4月にインドネシアのバンドンで行なわれた第1回アジア・アフリカ会議(Asia-Africa Conference)の通称である。参加国は日本(鳩山一郎首相の代理で高碕達之助経済企画庁長官が出席)を含むアジア・アフリカの29カ国。反帝国主義、反植民地主義、民族自決の精神が会議の志向。
1964年に第2回が行なわれる事となったが、現在まで事実上無期限延期となった。
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[編集] 開催までの経緯
第二次世界大戦後、多くのアジア・アフリカ諸国が独立を成し遂げた。しかし、米ソの冷戦構造はアジア・アフリカにまで波及し、インドシナ戦争や朝鮮戦争が引き起こされた。こうした中、1954年にインドシナ戦争の早期停止などを訴えたコロンボ会議がインド・東南アジアなどの5国によって開催された。この5国は「コロンボ・グループ」を結成、翌1955年のアジア・アフリカ会議の開催実現に尽力することとなった。
[編集] バンドン会議における意義
- 反帝国主義、反植民主義、民族自決の精神
- アメリカ、ソビエト連邦のいずれも属さない第3の立場を貫こうとする基本的指向。これがいわゆる第三勢力の存在を確立。
- アメリカ、ソ連の対立を緩和する立場(バランシング・ブロック)を作る契機となった。
- 会議で採択した「世界平和と協力の推進に関する宣言」いわゆる「バンドン10原則」、「平和10原則」を採択(後述)
[編集] バンドン10原則 (ダサ・シラ・バントン)
- 基本的人権および国連憲章の目的と原則の尊重
- すべての国家の主権、領土保全の尊重
- すべての人種の平等と代償を問わずすべての国家の平等の承認
- 多国の内政への介入,干渉をさしひかえること
- 国連憲章に合致する諸国家の個別的あるいは集団的自衛権の尊重
- (a)大国の特定の利益に役立てるための集団的防衛の諸協力の利用をさしひかえること:(b)いかなる国も他国を圧迫することをさしひかえること
- いかなる国の領土保全、あるいは政治的独立にたいしても、侵略行為、脅迫、あるいは力の行使をしないこと
- あらゆる国際紛争は、国際憲章にしたがって、交渉、調停、仲裁あるいは裁定のような平和的方法、ならびに当事国の選ぶその他の平和的方法で解決すること
- 相互利益と協力の推進
- 正義と国際的義務の尊重
[編集] バンドン会議50周年を記念する首脳会議
2005年4月22日から行なわれ、今後4年に1度首脳会談を開催(閣僚級会議は隔年に1度)。また直前に発生した中華人民共和国における反日運動に関し、日本の内閣総理大臣小泉純一郎は日本の戦争における歴史認識に関し、1995年8月15日に当時の総理大臣であった村山富市の談話(いわゆる「村山談話」)と同じ認識を持っていると演説した。
[編集] 関連項目
- アジア・アフリカ諸国の独立年表
- 非同盟諸国
- 非同盟諸国首脳会議