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小泉純一郎 - Wikipedia

小泉純一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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小泉 純一郎こいずみ じゅんいちろう1942年1月8日 ‐ )は、日本政治家衆議院議員(12期)。 内閣総理大臣(第878889代)、郵政大臣第56代)、厚生大臣(第7486代)、自由民主党総裁(第20代)を歴任。

内閣総理大臣の在任期間は1,980日と、第二次世界大戦後の内閣総理大臣として佐藤栄作吉田茂に次ぐ第3位の長期政権となった。また、中曽根康弘以来の、辞任せずに自由民主党総裁としての任期を全うした内閣総理大臣ともなった。

小泉純一郎政権の間はワンフレーズポリティクスと呼ばれるマスコミ報道を利用した劇場型政治が都市部の大衆にうけ、政治に関心がない層(B層)を投票場へ動員することに成功し、それにより高い投票率で大勝した選挙が多かった。(いわゆるポピュリズム政治)

衆議院議員 小泉 純一郎
生年月日 1942年1月8日
出生地 神奈川県横須賀市
出身校 慶應義塾大学経済学部
学位・資格 学士
前職・院外役職(現在) 衆議院議員秘書
会社員
所属委員会
・内閣役職(現在)
衆・懲罰委員会委員
世襲の有無 3世
祖父・小泉又次郎(衆議院議員)
父・小泉純也(衆議院議員)
選出選挙区
(立候補選挙区)
神奈川11区
当選回数 衆12回
所属党派(現在) 自由民主党(無派閥)
党役職(現在) 神奈川県支部連合会最高顧問
会館部屋番号 衆・第1議員会館327号室
ウェブサイト [‐]

目次

経歴

出生から初当選まで

1942年、 政治家・小泉純也と芳江の長男として出生。母方の祖父・小泉又次郎第2次若槻内閣逓信大臣をつとめ「いれずみ大臣」の異名で知られる大衆政治家だった(若い頃に全身に「昇り龍」の入墨を彫っていた)。

父・純也は戦後に一時公職追放となるが、政界復帰して防衛庁長官をつとめた。

神奈川県立横須賀高等学校を経て、1961年に慶応義塾大学入学。ロンドン大学留学するが、1969年8月に父・純也が急死したため帰国。

同年12月、亡き父の跡を継ぎ、弔い合戦をかかげて第32回衆議院議員総選挙自由民主党公認で立候補。しかし、選挙が父の死から間もなく準備が不足しており、また政治家として修行を全くしておらず演説もまだ不得手だった。結果は10万3000票余りを獲得するが4000票差で落選した。

1970年より、福田赳夫大蔵大臣書生を務める。 後に総理となる福田から政治家としての薫陶を受けた。

1972年12月、第33回衆議院議員総選挙において12万2000票余りを獲得して自民党公認で初当選した。清和会(福田派)に属す。後の小泉政権で内閣総理大臣秘書官となる飯島勲秘書となり、以後、二人三脚で進むことになる。

衆議院議員

衆議院議員となると、同期の山崎拓加藤紘一とは国会での席が近いこともあって特に懇意になった。この二人との関係は、後に彼らのイニシャルを取ったYKKという盟友関係に発展する。

1979年第2次大平内閣大蔵政務次官に就任。この大蔵政務次官のときに役人が民間の仕事を奪う実態を見て、「官から民へ」の環境をつくる郵政三事業郵便、簡易生命保険、郵便貯金)の民営化を持論にもったとされる。この郵政民営化論は政治家としてのライフワークとなる。当時は、国鉄電電公社の民営化以前でもあり、巨大公共機関である郵政の民営化なぞ荒唐無稽な暴論と考えられており、また特定郵便局は自民党の票田(野党にとっても全逓信労働組合が票田になっていた)で、いわゆる聖域でもあった。

政策通で知られたが、子分をつくらない一匹狼的な行動をとり、言いたいことを直言し、更に与野党政治家の既得権益を害する郵政民営化論を主張することもあって永田町では変人と言われるようになる。

1983年に福田赳夫夫妻を媒酌人にエスエス製薬の創始者泰道照山の孫娘と結婚するが、後に離婚している。「離婚するのは、結婚の十倍のエネルギーが必要だ」と言って以後は独身を通している。元夫人との間には3人の子どもがおり、長男は後に俳優となる小泉孝太郎である。公私の面の補佐は姉が務めることになる。

1988年竹下内閣改造内閣厚生大臣として初入閣を果たす。就任早々に厚生年金支給年齢を60歳から65歳に引き上げる痛みを伴う改革を打ち上げている。

1989年リクルート事件竹下政権が倒れ、続く宇野政権も女性スキャンダルが元で参院選で惨敗して僅か2箇月で退陣。政治不信が高まり、政治改革の柱として、それまでの衆議院議員の中選挙区制から、小選挙区制への選挙制度改革が主張されるようになった。小選挙区制導入に強硬に反対したことから、推進派の羽田孜と対立した。小選挙区制に反対したが、後に首相時代の衆議院選挙では、この制度による利益を大きく受け自民党の大勝を実現した。

宇野宗佑の後継となった海部俊樹総理は河本派だが、最大派閥の経世会(竹下派)の支持を受けた総理で、自民党は田中角栄木曜クラブの系譜を引く経世会の支配下にあった。

1991年の総裁選に向けて再選を目指していた海部に対抗し、中堅実力派議員となっていた盟友の山崎拓(渡辺派)、加藤紘一(宮沢派)と組んで、海部続投阻止、経世会支配打倒を打ち上げた。所属する三塚派のほか、渡辺派・宮沢派の反主流派が結束したため、もともと弱体だった海部の指導力は機能不全に陥った。懸案の政治改革三法案が廃案になったことで海部は解散に打って出ようとするが、それもできず遂に総裁選不出馬に追い込まれた。小泉・山崎・加藤のYKKグループはこの政争で名を上げた。

代って宮澤喜一が総理・総裁に就任し、1992年宮澤内閣改造内閣では、待望の郵政大臣に就任する。就任の会見で、かねてからの持論の郵政民営化論に基づき、国は民間では採算の採れないことだけをするべきとして、老人マル優限度額引き上げなどの従来の郵貯事業拡張政策の見直しを発言して、省内と郵政族議員たちを激怒させた。結局、この老人マル優限度額引き上げ見直しは郵政族の反発で失敗、その後も族議員や省内から攻撃を受けるなど孤立して苦渋をなめている。

1993年細川護熙日本新党の立ち上げにより政界再編の機運が高まり、小沢一郎、羽田孜らが離脱して経世会が分裂し、宮澤内閣不信任案が可決された。続く第40回衆議院議員総選挙で自民党は大敗して、遂に過半数割れを起こした。テレビでは、宮澤総理の責任とその退陣を明言し、現職閣僚が総理の辞任を大ぴらに要求することは前代未聞であった。閣僚懇談会でも重ねて辞任を要求して、即日、大臣職の辞表を提出。その翌日に宮澤総理は辞任した。

総裁選への挑戦

日本新党の細川護熙が新生党(羽田、小沢の新党)や新党さきがけ社会党公明党民社党の支持により首班指名され、連立政権が成立。一党支配を続けてきた自民党は野党に転落した。自民党総裁にはクリーンなイメージのある河野洋平が就任。

政界の混迷は続き、細川総理は佐川急便事件をきっかけにあっけなく辞任。続く、新生党の羽田政権も短命に終わり、自民党は政権奪回のために本来なら基本政策の上で相容れる筈のない社会党と連立を組み、社会党委員長の村山富市を総理に推して、なりふり構わず政権に復帰した。この自社さ連立政権でも実力者・野中広務らの経世会が主導的な力を持つようになった。

一方、政権奪回を目指す野党は小沢一郎の努力により野党合同を実現して新進党を結党する。1995年参議院議員選挙で自民党は新進党に敗れ、河野総裁の責任問題に発展するが、河野は9月に予定される総裁選での続投を望んだ。河野に不満な経世会は政策通で人気のある橋本龍太郎を擁立して、河野続投阻止にかかる。小泉の三塚派は河野を支持していたが、情勢不利を悟った河野は出馬断念を表明。これで橋本の総裁就任は確実になったが、無投票で総裁が決まることを阻止したい小泉らは森喜郎(三塚派)擁立を図るが森が辞退したため、結局、小泉が自ら出馬することを決める。

最初から勝ち目がない上に郵政民営化を主張する小泉は党内で反発を買っており、出馬に必要な推薦人30人を集めただけでニュースになる有り様だった。それでも若手議員のグループが小泉を推し、その中に後に総理になる安倍晋三がいた。結果は橋本の圧勝に終わる。ただ、この総裁選出馬により郵政民営化論を世間にアピールして、小泉の存在感を示すことはできた。

1996年に村山総理は辞任して、橋本内閣が成立した。小泉は第2次橋本内閣で再び厚生大臣に就任する。小泉は相変わらず自説を曲げず「郵政民営化できなければ大臣を辞める」と発言、国会答弁で郵政民営化を主張したときは、与党から野次を受け、逆に野党から拍手を受けることもあった。橋本総理はもちろん内閣の誰も郵政民営化を全く考えず、ある閣僚は「暴論」とまで言った。

同年、小泉は在職25年の議員に与えられる永年在職表彰を辞退して、相変わらず永田町の変わり者ぶりを示している。

消費税の引き上げを断行したため平成不況から立ち直りかけた景気を落ち込ませたと批判を受けた橋本総理は 1998年の参議院議員選挙で新進党に大敗を喫し、直ちに退陣した。後継は経世会の小渕恵三が有力だったが、無投票を阻止したい若手議員たちは小泉の出馬を要請するが、小泉は勝ち目がないと渋った。しかし、経世会が分裂して梶山静六が出馬したことで、勝利の可能性が出てきて、若手の説得により小泉も出馬を表明。しかし、結果は盟友の山崎、加藤の支持も取り付けられず、自身の三塚派すらも固めることはできず最下位に終わり、大方の予想通り小渕が総裁に選出された。

加藤の乱

2000年、小渕総理が急死。党内実力者の青木幹雄、野中広務らの支持により幹事長だった森喜朗が総理・総裁に就任。森が会長を務めていた清和会(森派)の会長には、小泉が就任した。

しかし、この総理就任の経緯が密室談合と非難され、森の旧来政治家的なイメージも相まって人気がなく、その上に失言が次々とマスコミに大きく取り上げられて支持率は急落した。2000年11月には遂に18.4%を記録する。これに危機感を抱いた反主流派の加藤紘一山崎拓は公然と森総理退陣を要求し始めた。これにより「加藤の乱」と呼ばれる政争が起こる。加藤と山崎は自派を率いて野党の提出する内閣不信任案に同調する動きを見せる。一方、森派の会長だった小泉は森総理支持の立場を明確にした。小泉はこの動きを察知するや党内に加藤、山崎の造反を真っ先に触れ回った。

加藤はマスコミに積極的に登場して自説を主張、更に普及し始めたインターネットを活用して世論の支持を受ける。だが、小泉ら主流派は猛烈な切り崩し工作を行い、加藤派が分裂して可決の見通しは全くなくなり、加藤、山崎は内閣不信任案への賛成を断念した。これにより、総理候補と目された加藤は大打撃を受け小派閥に転落、一方、森派の顔として活躍した小泉は党内での評価を上げた。

政争を乗り切った森政権だが、相変わらず支持率は低迷。2001年2月、えひめ丸事件で高校生が多数死亡した際に、ゴルフ場で事故の報を受けた後も森総理がプレーを続けたことが激しい非難を受け、遂に退陣に追い込まれた。

小泉旋風

森の退陣を受けた総裁選では経世会は橋本龍太郎前総理を擁立。麻生太郎亀井静香も出馬を表明。清新なイメージで人気があった小泉の待望論もあり、今回は自派(森派)及び加藤派、山崎派の支持を固めて出馬する。更に小泉は主婦層を中心に大衆に人気のあった田中眞紀子田中角栄の長女)の協力を受けた。

最大派閥の橋本の勝利が有力視されたが、小泉は一般党員を対象とした予備選で眞紀子とともに派手な選挙戦を展開。小泉は「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と熱弁を振るい、街頭演説では数万の観衆が押し寄せ、閉塞した状況に変化を渇望していた大衆の圧倒的な支持を得て、小泉旋風と呼ばれる現象を引き起こす。小泉は予備選で地滑り的大勝をし、続く4月24日の議員による本選挙でも圧勝して自民党総裁に選出された。そして、4月26日の首班指名で第87代内閣総理大臣に就任する。

内閣総理大臣

小泉は組閣に取り掛かるが、それまでの慣例になっていた派閥による推薦を一切受け付けず、組閣を誰にも相談せず全て自分で決め、「官邸主導」「総理支配」と呼ばれる流れをつくる。盟友山崎拓を幹事長に起用する一方で、最大派閥の経世会(橋本派)からは誰も党三役に入れなかった。人気のある石原伸晃を行政改革担当大臣に、民間から経済学者竹中平蔵経済財政政策担当大臣に起用する。また、総裁選の功労者の田中眞紀子は外務大臣に任命された。あわせて5人の女性を閣僚に任命するなど目玉人事と呼ばれた。(第1次小泉内閣

小泉は「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団、石油公団、住宅金融公庫など特殊法人の民営化など大胆な構造改革による小さな政府を目指す改革(「官から民へ」)と国と地方の三位一体の改革(「中央から地方へ」)の「聖域なき構造改革」を打ち出し、とりわけ小泉の持論である郵政三事業の民営化を「改革の本丸」に位置付けた。特殊法人の民営化には族議員が反発する。

発足時の小泉内閣は87.1%という空前の支持率を記録。メールマガジンが盛んな時期であり、小泉内閣メールマガジンを発行し登録者が200万人に及んだことも話題になった。

この「小泉人気」に乗って、同年7月の参議院議員選挙で自民党は大勝する。

小泉は終戦の日8月15日靖国神社参拝をすることを総裁選時に公約していた。総理の靖国神社参拝は中国韓国の反発に配慮して長年行われていなかった。小泉は公約の8月15日ではなく13日に靖国神社参拝を断行する(これでも、一定の配慮は示していたようだ)。以後も日や形式を変えつつも毎年、参拝を行った。予想通り、中国、韓国から強い反発があって、相互の首脳の訪問が途絶えることになり、日中韓の外交上の懸案事項となった。

9月11日米同時多発テロが発生。小泉はブッシュ大統領の「テロとの戦い」を支持し、米軍アフガニスタン侵攻を支援するテロ対策特別措置法を成立させ、海上自衛隊を米軍の後方支援に出動させた。

国際情勢が緊迫化し、外交がクローズアップされるが、その頃、肝心の外務省が機能不全に陥ってしまっていた。外交機密費問題で世論の批判を受けていた外務省を改革しようと乗り込んだ田中眞紀子外相だが、その激しい気性も合って外務省の官僚そして外務族の鈴木宗男と衝突、さまざまなスキャンダルの暴露合戦となり泥仕合を演じる始末だった。

この混乱を他人事のように語っていた小泉も、2002年2月には遂に田中を更迭してしまう。人気のあった田中の更迭により小泉の支持率は急落する。田中本人もこの処置を憎悪をして、小泉の政敵と化したが、秘書給与疑惑が持ち上がって8月に辞職に追い込まれている。

この泥仕合に乗って鈴木を「疑惑のデパート」と追及して「疑惑追及のエース」と呼ばれ名を上げたのが社民党辻元清美だが、2002年4月にその本人が秘書給与疑惑で辞職を余儀なくされる。そして、鈴木も6月に収賄容疑で逮捕されてしまった。また、小泉の盟友の加藤も政治資金流用疑惑で4月に辞職している。

「政治とカネ」のスキャンダルの連発で支持率を落とした小泉だが、9月に電撃的に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問して、金正日総書記と初の日朝首脳会談を実現し日朝平壌宣言に調印。この訪問で金正日は北朝鮮による日本人拉致を公式に認め、5人の拉致被害者を帰国させるが、8人死亡、1人行方不明の根拠不十分の回答や拉致被害者の夫や子供の帰国を拒むなど到底日本を納得させるものではなく、世論は沸騰する。国交正常化交渉は頓挫し、北朝鮮との外交問題は小泉政権を通しての懸案となる。北朝鮮との外交で強硬路線を主張し、拉致被害者家族との信頼関係を築いた安倍晋三官房副長官が国民的な人気を得るようになった。また、拉致被害者が帰国したことで一定の成果は上げたとして小泉の支持率はまた上昇に転じた。

9月30日小泉改造内閣が発足。柳沢伯夫金融大臣を更迭して、竹中経財相に兼務させた。これにより不良債権処理の強硬策を主張する竹中が小泉政権の経済政策を主導することになる。

2006年6月29日、小泉純一郎とブッシュ大統領
2006年6月29日、小泉純一郎とブッシュ大統領

2003年3月、アメリカはイラクへ侵攻してフセイン政権を打倒した。小泉は開戦前からアメリカ支持を表明。アメリカ一辺倒外交と野党や一部マスコミから批判を受けるも、日米同盟こそが外交の基軸としてブッシュ大統領との蜜月関係を守った。イラク戦後復興支援のための陸上自衛隊派遣が緊要の課題となる。その準備のため、6月に長年の安全保障上の懸案だった有事関連三法案(有事法制)を成立させている。7月にイラク特措法を成立させた。

9月に予定される自民党総裁選では小泉と敵対する経世会の実力者・野中広務が藤井孝男運輸大臣を擁立して小泉降ろしを図るが、参議院の実力者の青木幹雄参院幹事長はこれに与せず、野中は経世会の票をまとめることができずに大敗した。野中は10月に政界引退している。経世会の凋落を示す事件で、小泉・森の清和会が党の主導権を掌握することになる。

9月、自民党総裁選で再選された小泉は小泉再改造内閣発足させ、党人事では当選3回の若い安倍晋三を幹事長に起用する異例の人事を行った。これはイラク戦争への支持などで世論の批判を受けて苦戦が予想される11月の総選挙に向けて安倍の人気を必要としたからとされる。その結果、11月の総選挙では絶対安定多数の確保に成功する。閣僚を留任させた第2次小泉内閣が発足。一方、小泉の盟友の山崎拓は女性スキャンダルがもとで落選している。

2004年1月、自衛隊のイラクサマーワへの派遣を行った。しかし、4月に武装集団がイラクにいた日本人を拉致して「イラクからの自衛隊の撤退」を要求する事件が起きた(イラク日本人人質事件)。小泉は「テロには屈しない」とこれを明確に拒否。人質3人は後に解放。さらに2人が拉致され後に解放される。世論の大方は小泉の対応を支持し、逆に日本人人質が政府の制止を聞かず「戦闘地域」のイラクに勝手に行き誘拐されたとしてマスコミインターネットで「自己責任」とバッシングを受けるなど以前ならおよそ考えられない事態が生じた。福田総理時代の1977年にはダッカ日航機ハイジャック事件日本赤軍の要求に屈して「人命は地球よりも重い」と超法規的措置として身代金を払い、逮捕していた日本赤軍のメンバーを釈放している。

この事件では人質は生還したが、10月にイラク聖戦アルカーイダが日本人青年を人質に「イラクからの自衛隊の撤退」を要求するも小泉は拒否。人質は殺害されている(イラク日本人青年殺害事件)。

5月、小泉は再訪朝し平壌で金正日総書記と会談。北朝鮮に対する25万トンの食糧及び1000万ドル相当の医療品の支援を表明し、日朝国交正常化を前進させると発表。5人の拉致被害者の子供の帰国を実現した。しかし、その後の北朝鮮の対応はおよそ日本の世論を納得させるものではなく、火に油を注ぐ格好になり、日朝国交正常化交渉は再び暗礁に乗り上げ、その後、北朝鮮は日本を無視する姿勢を示し、アメリカとの交渉の突破口を開くべく核開発問題を先鋭化させることになる。小泉はアメリカとの連係を強化して「対話と圧力」の姿勢でこれに臨む。

7月、第20回参議院議員通常選挙自民党が改選議席数割れを起こして、安倍幹事長は辞任し、武部勤が後任となった。

破綻しかけている年金制度の改革が国民の重大な関心事となっており、6月に年金改革法を成立させるが、抜本的な改革には程遠いものだった。小泉の最大の関心は長年の持論の郵政民営化にあった。参院選を終えたことで小泉は郵政民営化に本格的に乗り出し、9月に第2次小泉改造内閣を発足させ、竹中を郵政民営化担当大臣に任命した。「基本方針」を策定して、郵政民営化を最優先事項とした。

2005年6月、国民保護法が成立し、国と地方自治体の武力攻撃に対する対処法が定められた。

小泉劇場

小泉が「改革の本丸」に位置付ける郵政民営化関連法案は党内から反対が続出して紛糾した。小泉は一歩も引かぬ姿勢を示し、党内調整は難航する。反対派は亀井静香、平沼赳夫が中心となり長老の綿貫民輔を旗頭に100人近い議員を集めて気勢を上げた。法案を審理する党総務会は亀井ら反対派の反発で紛糾し、遂に小泉支持派は総務会での全会一致の慣例を破って採決で強行突破した。これに反対派は猛反発する。ここにおいて事態は郵政民営化関連法案を巡る小泉と亀井・平沼ら反対派との政争と化した。

衆議院本会議における採決で、反対派は反対票を投じる構えを見せ、両派による猛烈な切り崩し合戦が行われた。7月5日の採決では賛成233票、反対228票で辛うじて可決されるが、亀井、平沼をはじめ37人が反対票を投じている。参議院では与野党の議席差が少なく、亀井は否決への自信を示した。小泉は法案が否決されれば直ちに解散するとを言明するが、亀井ら反対派は解散発言は牽制であり、そんな無茶はできまいと見ていたようだ。

8月8日参議院本会議の採決で自民党議員22人が反対票を投じ、賛成108票、反対125票で郵政民営化関連法案は否決された。小泉は即座に衆議院解散に踏み切り、署名を拒否した島村宣伸農林水産大臣を罷免し自ら兼務して閣議決定した。同日、憲法7条に基づき衆議院を解散。

小泉は法案に反対した議員全員に公認を与えず、選挙区には「刺客」候補を送り込む戦術を展開。小泉はこの解散を「郵政解散」と命名して、郵政民営化の賛否を問う選挙とすることに徹底し、反対派を「抵抗勢力」とするイメージ戦略に成功。解散はできないと考えていた亀井らの対応は完全に後手に回った。反対派議員をまとめることもできず、亀井は綿貫ら少数で国民新党を結党して苦戦を強いられることになる。最大野党の民主党も明確な争点を見い出せぬまま戦うことを余儀なくされる。選挙戦は小泉が終始、主導権を握ることになる。

マスコミ報道を利用した劇場型政治は都市部の大衆に受け、政治に関心がない層(いわゆるB層)を投票場へ動員することに成功し、それにより9月11日 の投票の結果は高い投票率を記録し、自民党だけで296議席、公明党と併せた与党で327議席の歴史的圧勝を納めた。最大野党の民主党は改選前の177議席を大きく下回る113議席の惨敗を喫し、岡田克也代表が辞任している。実際の与野党の得票数の差の比率はこの結果ほどは離れてなく、これは死票が多く、優勢な側に地滑り的な勝利が起き易い小選挙区制度の特性でもあった。この選挙は「小泉劇場」と呼ばれることになる。

9月21日、小泉は圧倒的多数で首班指名を受け、 第89代内閣総理大臣に就任する。10月14日 の特別国会に再提出された郵政民営化関連法案は衆参両院の可決を経て成立した。この採決でかつて反対票を投じた議員の大多数が賛成に回った。これにより小泉の長年の悲願がようやく実現された。

ポスト小泉

首相の後任が選ばれる、2006年自由民主党総裁選挙の立候補者、麻生太郎(左)、安倍晋三(中)、谷垣禎一(右)と手を組む小泉。
首相の後任が選ばれる、2006年自由民主党総裁選挙の立候補者、麻生太郎(左)、安倍晋三(中)、谷垣禎一(右)と手を組む小泉。

10月、第3次小泉改造内閣が発足。ポスト小泉と目される麻生太郎が外務大臣に、谷垣禎一財務大臣に、安倍晋三が官房長官に起用された。

党勢回復をはかる前原誠司新代表の民主党は、耐震強度偽装問題皇室典範改正問題などを追及して与党を苦しい立場に追い込んでいたが、2006年1月のライブドア送金指示メール騒動であえなく自滅し、前原代表は辞任に追い込まれた。

小泉は9月の総裁任期満了での退任を表明しており、焦点はポスト小泉に移り、麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三の麻垣康三が次期総裁を巡って争った。総理としての最後の通常国会では小泉は重要法案が幾つか残っている状況でも会期延長を頑なに拒否して、行政の長の国会運営への過度の介入だと批判を受けている。

8月15日終戦記念日に小泉は最初の総裁選の公約を果たして靖国神社へ参拝した。

9月20日の総裁選では選挙前から確実視された安倍晋三が後継総裁に選ばれる。翌9月21日 に小泉の自民党総裁任期は満了し、9月26日 に小泉内閣は総辞職して内閣総理大臣を退任した。新総理には安倍晋三が指名された。

任期満了による退任は1987年の中曽根政権以来で、小泉政権は戦後3位の長期政権となった。

総理退任後

総理退任後は国会への登院を除いては、テレビ出演、インタビュー、講演、議員の会合への出席などの公的活動を極力控えるようにしている。

小泉は院政をする気のない旨の発言をしており、もともと一匹狼的なスタイルの政治家で子分もおらず、大きな派閥を擁した岸信介田中角栄中曽根康弘竹下登など退任後も政界に影響力を残した元総理たちのような政治的基盤を有していない(清和会はもともと森喜朗の派閥で、町村信孝が継承)。

国民人気は根強いが、公的露出を控えることでこの人気を利用する動きは見せていない。「小泉再登板待望論」も一部で囁かれるが、小泉は再登板を完全に否定している。

政権公約となった政策

靖国神社への8月15日(終戦の日)参拝

2001年自民党総裁選で「私が首相になったら毎年8月15日靖国神社をいかなる批判があろうと必ず参拝します」と公約。しかしながら、2001年から2005年までは国内外からの批判に配慮して8月15日以外の日に参拝していた。自民党総裁の任期が満了する2006年には8月15日に参拝した。本件については靖国神社問題の項を参照。

郵政民営化

2005年政府国会に提出した郵政民営化法案が衆議院において可決された後、参議院において否決されたため衆議院を解散した(郵政解散)。この解散は参議院の意義を否定するものとして一部では問題視されたが、解散により実施された衆議院選挙で自民党は、結果的に法案が参議院で否決された場合でも衆議院で再可決することにより成立させられる3分の2超の議席を与党自民党で確保した。選挙後の特別国会において衆参ともに郵政民営化法案が可決された。

タウンミーティング

タウンミーティングの構想は2001年に行われた小泉純一郎首相の所信表明演説で初めて打ち出され、政権公約となった。タウンミーティングは全国で開かれ、まず特定テーマは設けずに都道府県を一巡し、その後「地域再生」「市町村合併」「教育改革」などをテーマに開かれるようになった。このタウンミーティングでは後にやらせ質問の横行、電通社員へ日当10万円の払い、エレベーター係へ一日数万の払い、などといった不透明な実態が明るみになった。コストは平均2000万円、全国一巡したことで20億円弱もかかっていた[要出典]

国債30兆円枠

小泉内閣は各年度予編成において国債発行額を30兆円以下に抑制することを公約として掲げたが、達成できたのは2001年度と2006年度予算の2回のみだった。その際、「(守れないことは)大したことじゃない」との発言を行った。

年金改革

年金制度を変革し、国家財政支出の社会保障費を減らすために保険料を毎年引き上げていく連続負担を導入し国民の負担額を増やした。老齢者控除廃止や公的年金等控除の縮小で高齢者の負担分を増やした。

医療制度改革

医療制度改革関連法案を国会で可決させ、サラリーマン医療費負担を2割から3割へ引上げた。70歳以上の高所得者(夫婦世帯で年収約621万円以上)について医療費の窓口負担が2割から現役世代と同じ3割へ上げた。2008年度からは70-74歳で今は1割負担の人も2割負担になる。

女系天皇容認

長い間、皇室に皇位継承権を有する男の子が生まれていなかったことなどから、皇室典範に関する有識者会議を設置し女性天皇女系天皇を認めさせようとしたが、与党内から反発が相次ぎ断念した。

他の政策

内政

外交

2005年パースシャーサミットに日本の首相として参加(後部列右から2番目の人物)
2005年パースシャーサミット日本の首相として参加(後部列右から2番目の人物)
  1. 親米保守派として郵政民営化など米国からの要望をまとめた年次改革要望書の内容を実行に移した。
  2. 靖国神社参拝により、中国韓国の態度を硬化させ関係を損ねたため、在任期間中は首脳会談が行われなくなった。
  3. アメリカ同時多発テロ後にテロ対策特別措置法を制定し、アメリカのアフガニスタン侵攻では海上自衛隊をインド洋に派遣し、イラク戦争後は米国主導の「イラク復興事業」に支援活動として陸上・航空自衛隊の派遣を決定した。
  4. 戦略的外交諮問機関 対外タスクフォース[2]を設立。
  5. 日本に観光客を呼び込むYOKOSO JAPAN キャンペーンを実行。その一環として、中国人韓国人台湾人等の観光客に対するビザ免除等を行った。
  6. 北朝鮮に訪朝し金正日総書記と正式会談。北朝鮮政府は日本人拉致への直接関与を認めた。また、五人が生存して日本へ帰国。(交渉継続中)

人物像

信念・容姿

  • 郵政民営化道路公団民営化などに反対する議員・団体・勢力を「抵抗勢力」と呼んだ(なお国会会議録を見る限り、抵抗勢力とは自分に反対するすべての勢力を指す)。
  • 国会演説や記者会見などで、国民に対して自助と自律の精神を呼びかけた。
  • 愛読書は『ああ同期の桜』(海軍飛行予備学生第14期会編)。
  • 尊敬している人物は吉田松陰である。
  • 国会では「極東国際軍事裁判を受諾し、A級戦犯戦争犯罪人と認識している」と答弁している。
  • 2006年9月の自民党総裁任期満了をもって総理及び総裁の両役職を辞める旨を会見などで早くから発言し、任期満了までに時間がある時点からポスト小泉人事が話題となっていた。小泉総理自身は総理・総裁辞任後は院政を敷くつもりはないと発言し、総裁選直前には安倍晋三支持を明確にした。
  • 髪型がライオンのたてがみに似ているとして、ライオンのイメージキャラクターがつくられた。
  • 人からの贈り物はほとんど受け取らない。バレンタインのチョコレートも送り返している。
  • 米国俳優のリチャード・ギアと面会した際、「ジャパニーズ・リチャード・ギア」と紹介された。

対人関係

  • 福田赳夫に師事した。
  • 第43回衆議院議員総選挙で一度は落選した盟友、山崎拓を首相特別補佐官として登用し、2005年4月24日の衆議院議員補欠選挙では山崎は再び議員に返り咲いている。その後は靖国参拝問題や人事などで山崎との関係は疎遠化したとも言われている。
  • 01年4月小泉内閣発足で国土交通副大臣就任した当時志帥会佐藤静雄は、小泉と同い年で福田事務所時代の同僚である。

対外関係

2006年6月29日ホワイトハウスにて、盟友ブッシュ大統領と握手しながら記者会見を行なう小泉首相。
2006年6月29日ホワイトハウスにて、盟友ブッシュ大統領と握手しながら記者会見を行なう小泉首相。
  • 小泉外交は出身派閥である清和政策研究会の伝統的な親米路線にのっとっている。アメリカ同時多発テロの際は被災地のニューヨークを訪問し、イラク戦争においては諸外国の中でいち早く自衛隊の海外派兵を決定した。
  • アメリカブッシュ大統領とは仲の良さをアピールし、日本の首相としては初めてエアフォースワンに搭乗しキャンプデービッドの別荘に招かれた。
  • 北朝鮮に対しては対話と圧力を掲げて、硬軟取り合わせた対応を行った。2006年のミサイル発射問題では関係国中最も強硬な国連外交を展開した。
  • 靖国神社への参拝をめぐり反発する中国・韓国との関係は悪化。反日デモで自身の肖像が燃やされる事も度々あった。

音楽・芸術関係

  • 解散したロックバンド、X JAPANの大ファンであると公言している。その流れから自民党のCMにX JAPANのヒット曲『Forever Love』を採用した。
    • 小泉内閣で経済産業副大臣を務めた高市早苗によれば、小泉とカラオケをした際にX JAPANのシングル曲である『Rusty Nail』を歌ったが、小泉はこの曲を知らなかったという。本人はバラード曲である『Tears』を最も好んでおり、2004年の参議院選挙に向けたCMのBGMへの使用を考えていたが、選挙戦に涙はまずいとして、以前にも自民党が採用した『Forever Love』が再度採用された経緯がある。
    • 1998年5月2日死去した元X JAPANのメンバー(ギタリスト)で、同郷でもあるhideの記念館(地元の神奈川県横須賀市)の設立に協力した。
  • オペラ(歌劇)、狂言歌舞伎映画鑑賞が趣味である。
  • オールディーズ時代のロックンローラー、エルヴィス・プレスリーの大ファンである。首相就任後の2001年には、自ら選曲し解説を著したエルヴィスのCDアルバムを発表した。
    • 2006年6月30日に日米首脳会談後、エアフォースワンにブッシュ夫妻と同乗し、エルヴィスの旧居である「グレイスランド」を公務として訪問した。そこで「グローリー、グローリー、ハレルーヤ、っと」と熱唱しながらエアギターを披露した。
    • エルヴィスとは誕生日が同じ1月8日である。
  • 小泉内閣最後の官邸メールマガジンに、ありがとう / ささえてくれて / ありがとう / 激励協力 / 只々感謝 という自作短歌を掲載した。

スポーツ・芸能関係

  • 大相撲に興味があり、しばしば本場所を訪れる。
    • 首相就任直後の2001年5月の夏場所では、たいていは内閣官房副長官(政務)が担当する総理大臣杯の授与を自ら行い、前日の負傷を押して出場し22回目の幕内優勝を勝ち取った横綱貴乃花光司に対して「痛みに耐えてよく頑張った!感動したっ!おめでとう!」との賛辞を送った。
    • 郵政解散で大勝した年の2005年11月の九州場所では、総理大臣杯の授与を、再び自ら行った。年6場所全制覇など3つの大記録を達成した横綱朝青龍に対して、「新記録!大記録!みごとだ!おめでとう!」と賛辞を送った。貴乃花の時は東京両国国技館であったが、この時は福岡国際センターである。わざわざ福岡まで行った理由について、年6場所を全て制覇したら行くという約束を、その年の初めに朝青龍とかわしていたと記者団に語った。
  • プロ野球での支持球団は神奈川県を本拠地とする横浜ベイスターズ。同球団の2軍が独立採算制の湘南シーレックスとなった際には、本拠地が地元・横須賀市である事もあり、後援会の結成に協力している。また堤義明とも親交が深く、総理大臣就任以前は堤がオーナーたる西武ライオンズのホームゲームを観戦に西武ドームに何度も足を運んだ。
  • サッカーの2002 FIFAワールドカップでは、ホスト国・日本の首相として大会運営に協力した。大会直前の親善試合では日本代表の激励のために国立競技場を訪問し、約5万人のサポーターから「コイズミニッポン」コールを受けた。また、6月30日の決勝戦がドイツブラジルなったのを受け、カナダハリファクスサミットで同席したドイツのシュレーダー首相を政府専用機に乗せ、横浜競技場に招待した外国の要人が政府専用機に乗った最初の例である(機内は日本の法令が適用される、外国の干渉を受けないため、異例)。
  • スポーツで日本人選手や日本代表が活躍をすると、記者会見で称賛などのコメントを行う。これは小泉のスポーツ好きを示す例であり、小泉が世間の話題に敏感であるという例の一つでもある。
  • 1998年、世界のワイン名士・著名人に贈られるメドック・グラーヴ・ボンタン騎士団騎士の称号を送られた。
  • 1999年に放送されたドラマTEAMフジテレビ系)に文部大臣として出演したことがある。また同じ年に、同じくフジテレビ製作のSMAP×SMAPのビストロスマップのコーナーにも出演している。中居正広からは、「総理大臣になるのはないか?」と冗談で言ったが、現実の物となっていた。日本テレビ製作の「モー。たいへんでした」 にも、出演した。
  • 2002年5月26日に東京競馬場で行われた東京優駿(日本ダービー)に来場し、表彰式で優勝馬(タニノギムレット)の馬主(谷水雄三氏)に「内閣総理大臣賞」を授与した。現職首相のダービー観戦は、1958年の岸信介首相以来の44年ぶり2回目。

人物評

  • YKKでは、人徳の山崎、政策の加藤に対比して、政局の小泉と評された。
  • 1998年の自民党総裁選に出馬した際田中真紀子に変人と評され(総裁選で選ばれた際の真紀子の演説では変人の母でございます。)、以後このニックネームが定着した。郵政解散の折には、森に変人以上と評されている。
  • 「自民党をぶっ壊す」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と宣言して総裁選に勝利、発足時の内閣支持率は戦後最高を記録した。一部では「ファシズム」と揶揄される程の驚異的支持率であった。
  • 田中真紀子(当時外相)の更迭時には支持率が急落するものの、終始40%以上の支持率を保ち続けた。
  • 聖域なき構造改革」として、国民に対して痛みを伴う改革を主張した。(野党には「痛みしか伴わない」と言われた。)
  • 靖国神社に参拝する理由を問われると一貫して「心の問題」と強弁して押し通した。他方で政教分離原則に反すると議論を呼んだ。
  • 北朝鮮から拉致被害者の帰国を実現させ、同時に北朝鮮に拉致の事実を認めさせた。
  • 稲川会との深い繋がりも有名。選挙対策本部長の竹内清は稲川会の元組員で、前会長石井進と非常に親しい間柄にある[要出典]。*参照 政治経済の真実

主な発言一覧

  • 『X JAPANの大ファン』
  • 「自民党を変える。変わらなければぶっ壊す!」
  • 「私の内閣の方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力だ」
  • 「抵抗勢力を協力勢力に」
  • 「改革なくして成長なし」
  • 「この程度の約束を守らないのは大したことではない」
  • 「痛みに耐えてよくがんばった! 感動した! おめでとう!」
  • 「この国を想いこの国を創る」
  • 「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」
  • 「格差が出ることが悪いとは思わない」 2006年2月1日の参院予算委員会で
  • 集団的自衛権を認めるなら憲法を改正すべきだ」

家族 親族

  • 祖父・又次郎職人、政治家)
  • 父・純也(政治家)
  • 姉・信子(政策担当秘書)
  • 弟・正也(秘書、妻は石原慎太郎の妻の従兄弟の子)
  • 長男・孝太郎(タレント)
  • 二男(米国シンクタンク『戦略国際問題研究所』研究員)

離婚歴あり(1982年にエスエス製薬の創始者泰道照山の孫娘である前妻と離婚して以降独身)。

系譜

  • 小泉氏
又次郎……純也━━純一郎━┳孝太郎
    (旧姓鮫島)   ┣二男 
             └(「三男」)

評価

  • 小泉純一郎は、不良債権問題に絡む金融危機にはじまる長期にわたる不況の中で、国民の支持によって総理大臣に就任した。彼の最大の権力の源は、常に国民の支持であった。彼のメディアの操作技術は天才的なものがあった。小泉は、国民に対して自信と楽観主義を失わないよう呼びかけ、自身は強力な姿勢で改革を進めた。不良債権問題は、特に腹心の竹中平蔵を金融相に任命して以降加速度的に解決され、金融機関の収益回復に貢献した。更に小泉は旧来型の公共事業による規制と利権に満ちた政財官のシステムを、各種の規制改革、道路公団・郵政三事業の民営化に乗り出し、多くの成果を挙げた。
  • 彼は機能不全におちいった金融業界と自民党財務族に現れたリーダーであり、日本が困難な時期を乗り越えさせることに一定の役割を果たしたことは事実である。ただ評価の分かれ目は、彼の行った政策が果たしてどこまで日本の回復に役立ったのかであり、彼の政治的遺産がどの程度後継者たちに継承されていくかにかかっている。

年譜

1961年慶応義塾大学入学

政歴

関連項目

関連人物

参考文献

テレビ番組

  • アンテナ22特別編・総理大臣小泉純一郎 歴史に残る2000日 5つの謎を解く[3]岩城滉一が、小泉を演じた。)
  • 独占取材・私だけが知っている小泉純一郎の正体(フジテレビの特別番組)

出典

  1. ^ http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html
  2. ^ http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2002/1128tf.html
  3. ^ http://www.ntv.co.jp/koizumi/

外部リンク


 内閣総理大臣
第86代
森喜朗
878889
2001 ‐ 2006
第90代
安倍晋三
先代:
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第56代: 1992 ‐ 1993
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先代:
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先代:
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外務大臣
第131代: 2002
次代:
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先代:
森喜朗
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第20代: 2001 ‐ 2006
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安倍晋三
先代:
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清和政策研究会会長
2000 ‐ 2001
次代:
森喜朗

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