バーデン・パウエル (音楽家)
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バーデン・パウエル (Roberto Baden Powell de Aquino, 1937年8月6日 - 2000年9月26日)は、ブラジルの音楽家、ボサノバ・ギター奏者、作曲家。リオデジャネイロ州のバ-レ・エ・サイで生まれる。名前は、ボーイスカウトの創始者、ロバート・ベーデン・パウエル卿からとられた。彼はピアニストであるフィリップ・バーデン・パウエル・ヂ・アキーノと、ギタリストのルイス・マーセル・パウエル・ヂ・アキーノの父である。
非常に技巧的なギター演奏をするギターの巨匠として知られており、特に、ヴィニシウス・ヂ・モライスとの共作であるアルバムアフロ・サンバなどの作品で知られる。
[編集] 生涯
父親は靴屋であり、チューバ奏者であった。バーデンにはバイオリンを習わせていたが、4歳の頃、自らの意思でギターに転向。8歳の頃から正統派ブラジル古典音楽の教育を受け始める。10代の頃は、エスコーラ・ヂ・サンバ「エスタサォン・プリメイラ・チ・マンゲイラ」に所属し、また15歳でナイト・クラブで演奏を始めたりと、ギタリストとしての腕を上げていく。
19歳で作曲したサンバ・トリスチ(Samba Triste)がヒットし、一躍有名となる。アントニオ・カルロス・ジョビンなど多くのボサノバ・アーティストたちとクラブでの共演を行っていた24際の頃、ヴィニシウス・ヂ・モライスと出会い、その後アルバムアフロ・サンバや映画「男と女」のサウンドトラックの製作などで共作を持つ。70年代にはヨーロッパに活動の拠点を移し、ボサノバの範疇に納まらない独自の奏法を追求し、主にギター奏者として活躍する。
[編集] ディスコグラフィ
- Swings with Jimmy Pratt (1962年) - アメリカのジャズドラマー、ジミー・プラットとの共作
- One Note Samba - Samba de Uma Nota So (1963年) - ジミー・プラットとの共作
- A Vontage (1963年)
- Le Monde Musical de Baden Powell vol.1 (1964年)
- Billy Nencioli et Baden Powell (1965年)
- Ao vivo no Teatro Santa Rosa (1966年)
- Tristeza on Guitar (1966年)
- Tempo Feliz (1966年)
- Os Afro Sambas de Baden e Vinicius / アフロ・サンバ (1966年) - ヴィニシウス・ヂ・モライスとの共作
- Poema on Guitar / 1968年
- Le Monde Musical de Baden Powell vol.2 (1969年)
- Os Cantores da Lapinha (1970年)
- Canto on Guitar (1970年)
- Images on Guitar (1971年)
- Samba triste (1972年)
- Solitude on Guitar / 孤独 (1973年)
- Felicidades (1983年)
- Rio das Valsas (1990年)
- Seresta Brasileira (1991年)
- De Rio A Paris (1994年)
- Lembrancas / 記憶 (2001年)
- アフロ幻想組曲 (2004年)[[Category:|はうえるはあてん]]