パウロス1世 (ギリシャ王)
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パウロス1世(ギリシャ語:Παύλος Α΄,Βασιλεύς των Ελλήνων, 1901年12月14日 - 1964年3月6日)はギリシャ王国の国王(在位:1947年 - 1964年)。コンスタンティノス1世とドイツ皇帝フリードリヒ3世の娘ゾフィーの三男としてアテネで生まれ、海軍士官としての教育を受けた。1917年から1920年までは父と、1923年から1935年までは兄ゲオルギオス2世とともに亡命生活を送っている。
1938年に元ハノーファー王太子(ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)エルンスト・アウグスト2世の娘でドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の孫娘にあたるフレデリカと結婚し、1男2女をもうけた。現スペイン国王フアン・カルロス1世の王妃ソフィアはパウロス1世の長女である。
1947年、兄ゲオルギオス2世が子をもうけずに死去したため、王位を継承。王政派に加えて共和主義者の支持も得て、ギリシャ内戦を乗り切った。一方で自分が一旦首相に指名したコンスタンディノス・カラマンリスをフレデリカ王妃との確執から解任するなど、後の王政廃止の伏線となる政治危機の切っ掛けを作った。
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