ビスマルク体制
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ビスマルク体制(-たいせい)とは、ドイツ帝国宰相ビスマルクの築いた守りの体制のこと。ビスマルク的国際体制ともいう。
普仏戦争後、ドイツはドイツ帝国を成立させた後、出来たばかりのドイツ帝国を安定させるためにも、再び戦争など出来る状態ではなかった。また、フランスからの復讐も警戒しており、そんな中とられたのがビスマルク体制である。 この政策の目的は他国と同盟を結んで良い関係を築き、外交的にフランスを孤立させることにあった。1873年にオーストリア、ロシアと三帝同盟を、1882年にオーストリア、イタリアと三国同盟を、1887年には独露再保障条約を締結してドイツの安全をはかる複雑な同盟網をしいている。これはいずれもフランスの復讐を避けるためであった。 1890年、ビスマルクが辞職し、ヴィルヘルム2世の親政が開始すると共にこの体制は崩壊し、列強諸国との対立激化を生むこととなる。
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