フォンテーヌブロー条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フォンテーヌブロー条約(フォンテーヌブローじょうやく, 英:Treaty of Fontainebleau)は、フランス北部パリ郊外のフォンテーヌブロー(多くはフォンテーヌブロー城)で締結された条約である。
[編集] 1814年のフォンテーヌブロー条約
1814年のフォンテーヌブロー条約は、フランスと第六次対仏大同盟諸国との間で締結され、皇帝ナポレオン1世の退位条件を定めた条約である。
4月11日に合意に達し、4月16日に締結された。ナポレオンはエルバ島に追放とされ、引き換えに200万フランの年金がフランス政府から送金されることになった。皇后マリー・ルイーズと息子のナポレオン2世にはパルマ侯国の統治者の地位が与えられた。4月20日、ナポレオンはフォンテーヌブロー城を出発しエルバ島へ向かった。
[編集] その他のフォンテーヌブロー条約
- 1745年10月24日のフォンテーヌブロー条約は、ルイ15世とチャールズ・エドワード・ステュアートとの軍事同盟である。
- 1807年10月27日のフォンテーヌブロー条約は、スペインとフランスとの間で締結された、ポルトガルの占領条件に関する条約である。
- 1763年のパリ条約はフォンテーヌブロー条約と呼ばれる場合もある。