ルイ15世 (フランス王)
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ルイ15世(Louis XV de France, 1710年2月15日 - 1774年5月10日、在位:1715年 - 1774年)はブルボン朝第4代フランス王。ルイ14世の曾孫。父はブルゴーニュ公ルイ、母はサルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世の娘マリー・アデライード・ド・サヴォワ。妻は元ポーランド王でロレーヌ公スタニスワフ・レシチニスキの娘マリー・レクザンスカ。
[編集] 生涯
ルイ14世の積極政策を継承し、ポーランド継承戦争やオーストリア継承戦争に参加して領土を得たが財政を逼迫させた。七年戦争ではアメリカ大陸の権益を失いフランスの衰退を招いた。政治にも無関心で、寵臣や愛妾に政治を任せ、国民の不満が高まった。この点が、フランス革命の直接の原因となっている。閣僚は財政改革を目指したが悉(ことごと)く失敗している。すでに国家財政は破綻状態で、次の代の国王がどのような人物であっても建て直しは不可能であったと言われている。
政治はポンパドゥール夫人とショワズールに任せられていた。1769年、デュ・バリー夫人が現れると、宮廷は、デュ・バリー夫人派とショワズール派に別れ対立しショワズールは1790年末に失脚している。
このころ啓蒙思想がヨーロッパ世界を席巻しヴォルテール、モンテスキュー、ルソーなどがフランスのサロンで活躍した。
ルイ15世は政治よりも愛妾ポンパドゥール夫人やその後に続くデュ・バリー夫人を溺愛して国政を弛緩させた。特にポンパドゥール夫人はルイ15世のために、フォンテンブローの森にいわゆるハレムにあたる鹿の園を開設した。
1774年5月10日午後3時15分、天然痘により亡くなる。
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