フクニチ新聞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フクニチ新聞( - しんぶん)は、1946年4月8日に夕刊紙として発刊された福岡県の地元紙。夕刊フクニチともいう。戦後の混乱期に西日本新聞向けの用紙配給の増加のために、西日本新聞の僚紙的位置付けとして創刊された。
発刊当時、長谷川町子が『サザエさん』を連載していたことで有名。最盛期は福岡市を中心に15万部を刷り、フクニチ新聞社は全国で最も給与の高い新聞社として知られ、500人以上の社員を抱えていた。
1964年9月、読売新聞の九州進出に伴う新聞の販売競争激化で、次第にシェアを減らしていった。
関連紙にフクニチスポーツというスポーツ新聞もあったが、これもフクニチ新聞の休刊に伴い1992年で休刊している。
[編集] フクニチ新聞の最後の詳細
1990年4月17日福岡地裁に和議申請。その後労働組合を中心にした社員らによって自主発行を継続するも、1992年4月和議不調により破産申請がおこなわれた。破産管財人によって強制執行がおこなわれ全社員解雇となり、社屋より強制退去させられた。
社員らは最後の新聞発行を管財人らに要請したが拒否され、自社設備による最終号発行が不可能となったが、状況を知った西日本新聞社幹部が決断し、西日本新聞社の全面協力により最後の新聞を製作発行してその歴史を終えた。最終号は一枚刷りの紙面で、1面は「当分の間休刊します」の大きな見出しと休刊についての経緯を読者に理解させるための記事、2面は番組表が掲載された。
なお、廃刊後かつての社員らが「福岡日刊新聞」の創刊を目指したが、実現出来なかった。
[編集] 補足
「週刊モーニング」(講談社)に「クッキングパパ」を長期連載中の漫画家・うえやまとちが1978年から1982年まで4コマ漫画をフクニチ紙上に連日掲載していたことがあった。その関係か「クッキングパパ」の主人公荒岩の妻虹子はフクニチがモデルらしき「ニチフク新聞」の記者と言う設定である。