読売新聞
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読売新聞(新聞の題字及び漢字制限前表記は「讀賣新聞」)(よみうりしんぶん)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社及び株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。販売部数は1000万部を超え、世界で最も発行部数が多い(かつては旧ソ連共産党機関紙プラウダ)。ギネスブックにはHighest Daily Newspaper Circulationで、朝刊と夕刊をあわせて2002年に14,323,781部を発行したと記されている。英国Times紙と特約契約を交わした。また、親米保守派新聞・また他紙と比較して大衆紙として知られている。公称発行部数は1003万部(2006年上半期平均値)。
創刊は1874年11月2日、全国の本支社数は6社、通信網は全国352拠点、海外機関34拠点、印刷拠点は29ヶ所であり、国内最大級の新聞社である。
目次 |
[編集] 歴史
- 1874年11月2日 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊。
- 1911年1月19日 讀賣新聞掲載の投書をきっかけに南北朝正閏論争が勃発。
- 1917年12月1日 商号を「日就社」から「讀賣新聞社」に改称。
- 1924年2月25日 経営難から、前警視庁警務部長、後の衆院議員、正力松太郎が買収。
- 1925年11月15日 「よみうりラヂオ版」新設(テレビ・ラジオ欄=番組表の先駆け)。
- 1934年12月26日 大日本東京野球倶楽部(現:読売ジャイアンツ)創設。部数拡大に大きく貢献する。
- 1942年8月5日 報知新聞社を合併。「讀賣報知」に改題。
- 1945年7月27日 論評なし公表されたポツダム宣言を、翌7月28日「笑止、対日降伏條件」と報道し、同日、鈴木貫太郎首相の記者会見上の「黙殺」発言を7月29日に報道。
- 1946年5月1日 題号「讀賣新聞」に復帰。
- 1950年6月1日 読売新聞社が株式会社に改組。
- 1951年 正力松太郎の公職追放解除。
- 1952年11月25日 大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊、関西に進出。
- 1959年5月1日 札幌市に北海道支社開設。現地印刷開始。
- 1961年5月25日 富山県高岡市に北陸支社開設。現地印刷開始。
- 1964年9月23日 北九州市に「読売新聞西部本社」設立。現地印刷開始。
- 1966年6月29日 この日から7月2日まで行われたビートルズ日本公演を主催。
- 1975年3月25日 名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊。
- 1977年 発行部数で朝日新聞を抜き、日本一となる。世界でもソ連(現:ロシア)のプラウダなどを抜いて一位に。
- 1979年 渡邉恒雄(現読売新聞グループ本社会長)が論説委員長に就任。
- 1988年2月1日 中部読売新聞社が読売興行株式会社(後の㈱よみうり)と合併し中部読売新聞本社となる。同年6月1日には読売新聞中部本社と改組、題号から「中部」の文字が外れる。
- 1994年11月3日 当時の渡邉恒雄社長の下で、主要なマスコミで初めて「憲法改正試案」を発表して、憲法の改正を主張。憲法について再考する一つのきっかけになった。
- 1999年2月1日 経営難の中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。
- 2000年12月1日 紙面の文字拡大。「第二次文字拡大ブーム」に火を付ける。
- 2002年7月1日 グループ再編。株式会社読売新聞社を株式会社読売新聞グループ本社(グループ持株会社)と株式会社読売新聞東京本社に、株式会社よみうりを株式会社読売新聞西部本社と株式会社読売巨人軍に会社分割。中部本社はよみうりから読売新聞東京本社に分割承継(中部支社に格下げ)。大阪本社(株式会社読売新聞大阪本社)も株式交換により読売新聞グループ本社の完全子会社に移行。
- 2004年1月1日 読売新聞西部本社が北九州市から福岡市に移転。
- 2004年12月1日 朝刊連載の4コマ漫画「コボちゃん」が、日本の全国紙の4コマ漫画では初めてカラー化 コボちゃんに渡辺恒雄会長も登場(中部支社発行版など一部地域を除く)。
[編集] 題字
- 毛筆体の「讀賣新聞」の横組み。かつてはその題字の下に英語の「THE YOMIURI SHIMBUN」(夕刊はこれに「EVENING EDITION」を追加)と書かれていた。現在の持ち株会社制度に移行してから、英語のタイトル掲出が廃止され、それまで題字の右横に書かれていた日付が題字下に書かれている。
- 夕刊は題字の左隣に縦書きの囲みで「夕刊」と書かれており、読売新聞の題字に水色の縦縞模様のスクリーントーンが張られている。カラー化する以前は東京版だけこのスクリーントーンがモノクロで張られていた。
[編集] 紙面・論調
紙面の編集方針や論調は保守本流だが、かつてはリベラルだった。基本的に自民党支持、改憲支持である。但し、渡邉恒雄主筆の影響もあって、新自由主義経済政策や靖国神社(特に遊就館)における歴史認識に対しては批判的である。
政府の政策に関し、政策分野によっては(改憲問題、防衛政策など)、はっきり社の見解(社論)を打ち出すのが特徴である。また、個々の記者の見解が前面に出るような記事が少なく、社論に沿った記事がほとんどなので、記事間の意見の違いについて考えさせられる機会が少ないのも特徴である。
朝日新聞とかつて購読者数日本一の競争を繰り広げたが、現在では大きく引き離しトップの地位を保っている。
[編集] 注目を集めた報道
- 憲法改正草案発表
- マスコミとしては初めての問題提起である「憲法改正草案発表」を発表し憲法改正論議のさきがけとなる。
- オタク系の情報掲載
- 全国の夕刊読売新聞で「OTAKUニッポン」というコーナーを毎月最終金曜日に掲載し一部で話題となった(掲載終了)。
[編集] 読売争議
1945年11月から1946年10月にかけて、2度にわたって起こった争議。一時的とはいえ、労働組合側が新聞の発行権を握った。
[編集] 第1次争議
第二次世界大戦終結後、各マスコミでは経営陣の戦争協力について糾弾する動きが見られた。読売も例外ではなかったが、他社と違ったのは正力の力が極めて強かったことであった。この力を背景に、正力は糾弾していた記者のうち急先鋒格だった5名を解雇した。従業員側はこれに反発し争議が勃発した。ところが、程なくして正力がA級戦犯指名を受けて巣鴨プリズン収監が決定し、経営側は急遽「リベラル派の馬場恒吾(1875~1956。ジャーナリスト出身)を社長にする」ことを交換条件に5名の復職と民主化を従業員側に提案。従業員側も同意して12月に一応の争議終結を見た。
それから程なくして読売社内に労働組合が結成され、委員長には、徹底したリベラリストで知られていた鈴木東民(1895~1979。後の釜石市長)が据えられた。鈴木は「民主読売」をモットーに「人民の機関紙たること」を宣言。編集局長・主筆・社会部長の主要3職も兼ねた。また、印刷部門の支配も労組に委ねられた。この頃、北海道新聞や西日本新聞などでも経営陣追放などの動きが見られた。
[編集] 第2次争議
「民主読売」の成立は他のマスコミに大きな影響を与え、さらには記者クラブ改革や新しい新聞の発刊にまで波及した。しかし、1946年に入るとチャーチルの「鉄のカーテン」発言から冷戦が事実上開始され、GHQの方針に微妙な変化が起こり、これが「民主読売」の前途に暗雲をもたらした。
1946年5月、馬場はいきなり鈴木の解雇を発表。これがきっかけで争議が再発した。民間情報教育局(CIE)は第1次争議では従業員側を影ながら応援していたが、この第2次争議では馬場ら経営側を応援した。従業員側はストライキで抵抗し、経営側の人間だった務臺光雄はこれに対抗すべく警察担当となって、従業員排除のために警察やMPの出動を要請した。GHQの後ろ盾が急に無くなった従業員側は初めから不利であり、警察やMPともみ合いになって血まみれになりながら輪転機を守ったが、10月には鈴木ら労組の幹部だった37名が退社処分となって「民主読売」は崩壊した。
日本共産党などはこの争議を高く評価しているが、大勢的に見れば冷戦とそれによるGHQの方針転換に大きく振り回された争議と見ることもできる。また、馬場のイメージもあまり芳しくないが、馬場サイドから見ればGHQの方針転換に忠実に従ったまでのことであり、鈴木がそれを見抜けなかっただけだという見方もある。
この争議の混乱が尾を引いて読売は社の体力が大きく疲弊。読売の民間ラジオ局「読売放送」の構想が挫折した(後にラジオ東京の前身の一つとなった)。
[編集] 「社会部王国」
読売新聞は、かつて立松和博、本田靖春(東京本社)、黒田清、大谷昭宏(大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。とりわけ大阪社会部はコラム「窓」、長期連載「戦争」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が社会部長になってのち社会部は“黒田軍団”という異名で呼ばれた。しかし1980年代に社内で渡邉恒雄氏らによる保守的思潮が主流になり、1987年に黒田は退社に追い込まれた。この行動は読売新聞の論説体系の統一の観点からは仕方無いものではあるが、読売新聞本来の魅力である「保守的なリベラル」という二律背反しつつも社論は社論という絶妙なバランスに立脚した論説体系を捨てたという事で残念に思う旧来の読者が多い。
[編集] 医療情報部
読売新聞は、他の全国紙にはない医療専門の取材機関「医療情報部」を持つ。同部長である前野一雄は、自身が脳動脈瘤、次いで甲状腺がんを患った経験を生かして「脳動脈瘤がある人の不安と選択」(ISBN 4-88320-246-1)、「甲状腺がんなんて怖くない」(ISBN 4-385-36190-8)を著している(後者は杉谷巌との共著)。また、「『健康常識』ウソ・ホント55」(ISBN 4-06-257370-9)で世間に伝わる「健康常識」に疑問を呈している。
[編集] マスコットキャラクター
- 2004年1月、読売新聞の創刊130周年を記念して、アニメーション作家で映画監督の宮崎駿(スタジオジブリ)の作による、「目玉の中に忍び込む昆虫」を表した新マスコットキャラクターを発表。名前は、同年7月、一般公募によって「どれどれ」という名前が付いた。
- 「どれどれ」の特長
- 「大きな眼」は、将来を見通し、先見性を持って報道にあたる読売新聞の基本方針を示している。新聞を読んでいるのは活字を大切にする姿勢を、緑色は環境を大切にする姿勢を象徴している。
- 「どれどれ」は、旺盛な探究心、好奇心を象徴する言葉である。
- 因みに、宮崎駿は読売系列の日本テレビのマスコットキャラクター「なんだろう」も手掛けた。
[編集] Jリーグのチーム表記問題
- 1992年のナビスコ杯から1993年にかけてのJリーグ草創期、自社が当時メインスポンサーとして運営していたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)のチーム名を「読売ヴェルディ」とした(日テレも同じ。スポーツ報知=読売系スポーツ紙は「読売ヴェルディ川崎」とした)。
- これは同チームの川崎時代の項にも詳述しているが、渡邉恒雄社長が「プロ野球と同じようにJリーグも企業重視が必要だ」、「川崎製鉄(現・JFEスチール)、川崎重工業の商標で商標権侵害の恐れがある」(実際川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いた事もあった。現在はヴィッセル神戸の広告看板スポンサーに就いている)、「東京への移転問題」などの理由があった。
- Jリーグでは企業名は排除して自治体(市区町村名)+愛称で表記するように指導しており、1994年度以後のシーズンは企業名を排除して「ヴェルディ川崎」としてクレジットするようになった。
- その他、横浜マリノスは「横浜」、横浜フリューゲルスは「AS」とした。これはフリューゲルスが当時長崎県、熊本県、鹿児島県をホームタウンに準ずる権限のある「特別活動地域」とした実質上の広域ホームタウンであることを考慮したが、これも1994年から「横浜M」「横浜F」に統一された。
[編集] 読者で成り立つ企画
[編集] 掲載四コマ漫画
- コボちゃん(朝刊)
- サンワリ君(夕刊 2004年7月の作者の鈴木義司氏の逝去を以って掲載終了したため現在夕刊の4コマ漫画掲載なし)
- ドッポたち(夕刊KODOMO面、現在土曜日の夕刊のみ掲載)
- あたしンち(日曜版)
[編集] 発行所
- 東京本社 東京都千代田区大手町1-7-1
- 北海道支社 札幌市中央区北四条西4-1
- 北陸支社 富山県高岡市下関町4-5
- 中部支社 名古屋市中区栄1-17-6
- 大阪本社 大阪市北区野崎町5-9
- 西部本社 福岡市中央区赤坂1-16-5
- 北九州総本部 北九州市小倉北区米町2-1-1
- 印刷工場
- 札幌、帯広、弘前※1、仙台、郡山、栃木、水戸、東茨城郡茨城町、藤岡、川越、東京都北区、東京都千代田区、東京都江東区2ヵ所、東京都港区、府中、横浜2ヵ所、高岡、名古屋、京都※2、大阪、茨木、高石、神戸※3、岡山※4、坂出、北九州、鳥栖
※1-陸奥新報社の工場で委託印刷。
※2、※3-図書印刷の工場で委託印刷。
※4-産経新聞岡山工場で委託印刷。なお、読売の東京本社工場では夕刊フジを、坂出工場では産経新聞をそれぞれ委託印刷している。
- 衛星版
日本国外でも読売新聞が印刷・発行されている。東京本社で製作された紙面を通信衛星を使って現地の印刷工場へ送信し、印刷される。現在はロンドン、バンコク、香港で現地印刷を行っている。紙面内容は東京本社発行版とほぼ同じである。過去にはニューヨーク、ロサンゼルスでも現地印刷が行われていたが、2003年10月1日付をもって終了した。
[編集] 各社の担当地域
- 株式会社読売新聞東京本社北海道支社
- 北海道
- 株式会社読売新聞東京本社中部支社
- 岐阜県、愛知県及び三重県(津市、四日市市、伊勢市、松阪市、桑名市、鈴鹿市、尾鷲市、亀山市、鳥羽市、熊野市、いなべ市、志摩市、桑名郡木曽岬町、員弁郡東員町、三重郡菰野町、朝日町及び川越町、多気郡多気町、明和町及び大台町、度会郡玉城町、度会町、大紀町及び南伊勢町、北牟婁郡紀北町並びに南牟婁郡御浜町及び紀宝町)
- 株式会社読売新聞大阪本社
- 三重県(名張市及び伊賀市)、福井県、滋賀県、京都府、大阪府、奈良県、和歌山県、兵庫県、岡山県、鳥取県、島根県(松江市、出雲市、安来市、雲南市、八束郡東出雲町、仁多郡奥出雲町、飯石郡飯南町、簸川郡斐川町並びに隠岐郡海士町、西ノ島町、知夫村及び隠岐の島町)、広島県、徳島県、香川県、愛媛県及び高知県
- 株式会社読売新聞西部本社
- 島根県(浜田市、益田市、大田市、江津市、邑智郡川本町、美郷町及び邑南町並びに鹿足郡津和野町及び吉賀町)、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県及び沖縄県
[編集] 朝夕刊の別
北海道(石狩支庁、上川支庁、空知支庁、後志支庁、胆振支庁、日高支庁)、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都(小笠原諸島を除く)、神奈川県、山梨県、富山県、石川県、静岡県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、山口県、福岡県、佐賀県、大分県、沖縄県では、一部地域を除いて朝夕刊セット。その他の県は朝刊統合版だが、特に中部支社版のみは対象地域全域が朝刊単独(但し、静岡県向けの夕刊は中部支社で印刷しトラック輸送している)。
中部支社版の紙齢(創刊からの号数)は、2002年6月30日付までは「中部読売新聞」として創刊された時からの紙齢だったが、同年7月1日付から、東京本社の支社になったのに伴い、東京本社版と同じ紙齢になった。ちなみに、「中部読売新聞」が「読売新聞」になるまでの1988年5月31日付まで、東京本社が愛知県、岐阜県、三重県向けの地方版「中京版」を発行していた(中京版のテレビ・ラジオ欄は静岡県遠州版と共有だった)ため、実質的には東京本社発の「中京版」と、中部読売(現中部支社)の発行する「中部読売新聞」が併売された格好だった。
[編集] 在籍していた著名人
- 芦辺拓(推理作家)
- 浅井信雄(国際政治学者、元野村総合研究所コンサルタント)
- 飯干晃一(作家)
- 池田正之輔(元科学技術庁長官)
- 伊藤宗一郎(元衆議院議長)
- 内田忠男(ジャーナリスト)
- 大岡信(詩人)
- 大谷昭宏(ジャーナリスト)
- 小川彌生(漫画家)
- 奥田幹生(元文部大臣)
- 小倉貞男(ジャーナリスト)
- 黒田清(ジャーナリスト 物故者)
- 佐野洋(推理作家)
- 塩田丸男(作家)
- 杉山隆男(ノンフィクション作家)
- 杉下恒夫(JICA客員国際協力専門員)
- 高井潔司(北海道大学教授)
- 辻静雄(辻調グループ校創立者)
- 戸川猪佐武(政治評論家)
- 中村慶一郎(政治評論家)
- 丹羽雄哉(元厚生大臣)
- 本田靖春(ジャーナリスト、ノンフィクション作家 物故者)
- 本間俊太郎(元宮城県知事)
- 宮崎吉政(政治評論家)
- 山口正紀(ジャーナリスト)
[編集] 関連企業・読売グループの企業・団体
- 「読売新聞グループ本社」の項目を参照のこと。
[編集] 株式会社読売新聞グループ本社が支配している放送事業者
ここでは、放送局の開設の根本的基準(昭和25年電波監理委員会規則第21号)第9条(いわゆるマスメディア集中排除原則)に於いて「支配」に当たる10%を超える議決権を読売新聞の持株会社である株式会社読売新聞グループ本社が有しているものとして総務省のウェブサイトに於いて公表されている放送事業者を挙げた(太字は読売グループとして対外的に公表されている会社)。
- 株式会社エフエム青森
- 株式会社テレビ岩手
- 株式会社宮城テレビ放送
- 株式会社エフエム山形
- 株式会社福島中央テレビ
- 日本テレビ放送網株式会社
- 株式会社テレビ新潟放送網
- 株式会社テレビ信州
- 株式会社テレビ金沢
- 株式会社静岡第一テレビ
- 讀賣テレビ放送株式会社
- 広島テレビ放送株式会社
- 株式会社福岡放送
- 株式会社テレビ長崎
- 株式会社熊本県民テレビ
- 株式会社テレビ大分
- 株式会社テレビ宮崎
[編集] 地域紙記事写真配信サービス
読売新聞東京本社は1997年から地域紙記事写真配信サービスを開始、通信社としての役割も行っている。以下は配信サービスを受けている新聞
- 函館新聞(北海道函館市)
- 北海民友新聞(北海道紋別市)
- プレス空知(北海道滝川市)
- 釧路新聞(北海道釧路市)
- 道北日報(北海道士別市)
- 北空知新聞(北海道深川市)
- 遠軽新聞(北海道遠軽町)
- 網走タイムズ(北海道網走市)
- 十勝毎日新聞(北海道帯広市)
- 盛岡タイムス(岩手県盛岡市)
- 岩手日日新聞(岩手県一関市)
- 石巻日日新聞(宮城県石巻市)
- 大崎タイムス(宮城県大崎市)
- いわき民報(福島県いわき市)
- 阿武隈時報(福島県須賀川市)
- 常陽新聞(茨城県土浦市)
- 長野日報(長野県諏訪市)
- 信州日報(長野県飯田市)
- 市民タイムス(長野県松本市)
- 桐生タイムス(群馬県桐生市)
- 紀南新聞(和歌山県新宮市)
- 岡山日日新聞(岡山県岡山市)
- 八幡浜新聞(愛媛県八幡浜市)
- 島根日日新聞(島根県出雲市)
- 今日新聞(大分県別府市)
- 大島新聞(鹿児島県奄美市)
- 南九州新聞(鹿児島県鹿屋市)
- 八重山毎日新聞(沖縄県石垣市)
- 宮古新報(沖縄県宮古島市)
[編集] 参考文献
- 「第一篇 労働争議 第二章 主要な争議 第一節 読売新聞社の争議」『日本労働年鑑 第22集/戦後特集』1949年 法政大学大原社会問題研究所/第一出版
- 御厨貴『馬場恒吾の面目―危機の時代のリベラリスト』1997年、中央公論社
[編集] 関連項目
- 読売・朝日・毎日3社ニュース
- 読売新聞ニュース
- 福島民友
- ザ・デイリー読売
- 読売ウイークリー(週刊読売)
- スポーツ報知
- 読売ジャイアンツ(読売巨人軍)
- 新聞販売店
- 読売理工学院
- 新聞奨学生
- 箱根駅伝
- yorimo(会員制のインターネット=パソコン通信ポータルサイト)
[編集] 環境保全活動
環境に関する記事を多く掲載しマスコミの社会的責任を果たしている。また、新聞印刷工場の土壌汚染のリスクは高く、土壌汚染に対する取組が前向きに行われている。
[編集] 外部リンク
読売新聞グループ本社 |
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