フッガー家
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フッガー家(Fugger)は、中世ヨーロッパのアウクスブルクを中心に鉱山、金融を営んだヨーロッパ最大の大富豪一族。
[編集] 歴史
ハンス・フッガー (Hans Fugger) が農村から織工としてアウグスブルクに出て、以後同家の本拠地となる。彼はヴェネツィアから原料を輸入する商売を始めた。息子ヤーコブが、香辛料などの貿易を行い、その息子ヤーコブ2世(1459-1525年)が1485年銀の先買権を手に入れ莫大な利益を獲得する。彼の家系は「ユリの紋章」のフッガー家と呼ばれた。1490年、銀山を要するティロルの領主が神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世となったことで、皇帝権力と結びついた。1494年ノイゾール銅山を入手し、その後銅市場の支配権を手に入れる。シレジアの金山の大部分も支配下に入った。ヴェネツィアなどにも支店を持った。ハンスの長子アンドレアスの家系は、「鹿の紋章」を使用するフッガー家と呼ばれた。
政治との関係も深く、神聖ローマ皇帝、スペイン国王、ローマ教皇などの御用銀行として資金を融通した。宗教改革のきっかけとなった1517年の贖宥状(免罪符)販売は、ブランデンブルク公がフッガー家への借金を返すためでもあった。また、1519年の皇帝選挙では、ハプスブルク家のスペイン王カルロス1世に選挙資金を貸し付けた、カルロスはフランス王を抑え、神聖ローマ皇帝に就くことができた。
ヤーコブの後継者アントンの代には、資産は710万フローリンと最大になった。
アウグスブルクの市街を築き、また画家デューラーらを招くなどパトロン活動を行った。 アウグスブルクのフッゲライは同家が慈善事業として寄付したものである。
宗教改革の前後にわたってカトリックの体制を支える役割を果たした。スペイン騎士団の領地からも多くの収入があった。しかし16世紀後半にスペインの財政破綻により、ハプスブルク家の支払い停止があり、アメリカ大陸からの廉価な銀の大量輸入が巨額の損失を出した。以来次第に力を失い、事業より領地経営が主体になっていった。現在も貴族として存続。
イタリアのメディチ家としばしば比較される。