フレンチ・クオーター
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フレンチ・クオーター(The French Quarter)は、ニューオーリンズで最も歴史があり有名な地区。ヴュー・カレ(Vieux Carré、フランス語でOld Squareの意味)としても知られる。一般的に「The Quarter」と呼ばれる。
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[編集] 場所
一般的にミシシッピ川に沿って、Canal StreetからEsplanade Avenue(12ブロック)、Rampart Street(7から9ブロック)の4辺の中の地域を呼ぶ。
[編集] 歴史
多くの建物は、ニューオーリンズがアメリカ合衆国に属する前のフランス植民地時代やスペイン植民地時代のものである。19世紀後期から20世紀初期の建物もある。1920年代からフレンチ・クオーターの建築の保護が法定化された。
名前はフレンチ・クオーターだが、現存するのはフランスよりスペイン統治時代の建物が多い。1794年の大火事でフランス植民時代の多くの建物はなくなり、当時の統治者のスペイン植民が新しいデザインで、耐火性も高くした新しい建物を建てた。フランス様式の尖った屋根はタイルの平らな物になり、耐火性のために木造の壁は禁止され、色とりどりに塗られた漆喰になった。後に精巧な鉄細工のバルコニー(屋根なし)、ベランダ(屋根がある)で飾られた。
1803年のルイジアナ買収後もフランス植民者の子孫はこの地に住み、20世紀初期までまでフランス語が聞かれた。アメリカ人はフレンチ・クオーターの上流域に建築を始めた。19世紀後半になるとイタリア南部の出身者が住み始め、20世紀初期にはボヘミアンや芸術家が住み始めた。
1965年12月21日、「Vieux Carré Historic District」はアメリカ国定歴史建造物と指定された。
1980年代、長く住んでいた居住者は、1984年のルイジアナ世界万博(ニューオーリンズ)の開催などで高騰した地価、家賃などのためにこの地区から移住した。
現在は観光客のメッカだが、居住・商業施設も残っている。
[編集] ハリケーン・カトリーナの影響
2005年8月下旬のハリケーン・カトリーナにより、ミシシッピ川の堤防が崩壊し、ニューオーリンズは洪水に襲われた。フレンチ・クオーターは他の地域に比べれば被害は少なく、多くの建物は破壊されず、再開した。
2005年9月26日にレイ・ネーギン市長は正式にフレンチ・クオーターの再開を宣言、1か月以内にほとんどすべての地区が再開された。
[編集] ジャクソン・スクウェア
ジャクソン・スクウェア(Jackson Square、前Place des Armes)は、建築家Louis H. Piliéがデザインしたフレンチ・クオーター中心部の公園。名前はアンドリュー・ジャクソンにちなむ。
ジャクソン・スクウェアの前に位置するセントルイス・カテドラルは、1727年に建設された北米最古の大聖堂で、ニューオーリンズの名所ひとつに数えられる。また、カテドラルの反対側のディケイター通りを渡ったところには、ドーナツ店のカフェデュモンドがあり、こちらも人気スポットのひとつとなっている。
[編集] バー
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そのほかにフレンチ・クオーターで有名なのは、バーボン・ストリート(Bourbon Street)である。Lafitte's Blacksmith Shopは、海賊で英雄的人物、ジャン・ラフィットが営んでいた店。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- WikiTravel:New Orleans/French Quarter
- FrenchQuarter.com: Your Essential Guide to New Orleans' Oldest Neighborhood
- QuarterCrawl.com: An up-to-date list of what's open in the French Quarter
- Harriet Joor: The City of Iron Lace
カテゴリ: ルイジアナ州の地理 | ハリケーン・カトリーナ | ニューオーリンズ