ブルース・ジョンストン
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ブルース・アーサー・ジョンストン(Bruce Arthur Johnston , 1942年6月27日 - )は、ザ・ビーチ・ボーイズのメンバーとして知られるアメリカのミュージシャン。イリノイ州ピオリア出身。本名ビリー・ボールドウィン(Billy Baldwin)。孤児であった彼はレクサール・ドラッグストア・チェーンの重役に養子として引き取られ、ビヴァリー・ヒルズに移り住む。
1950年代後半より、数々のマイナー・レーベルにて様々なレコード制作に携わる。1960年にはデル=ファイ・レーベルと契約、1962年に初のソロ・アルバム『サーファーズ・パジャマ・パーティ』を発表。1963年には友人となったテリー・メルチャーに誘われてコロンビア・レコードに移籍、2作目のソロ・アルバム『サーフィン・ラウンド・ザ・ワールド』を発表。メルチャーと組んでリップ・コーズのレコード制作に関わったほか、ブルース&テリーとして66年まで意欲的にシングルを発表する。
彼は1965年のツアー時にブライアン・ウィルソンの代役としてビーチ・ボーイズに参加していたグレン・キャンベルがバンドを離れた後に、その代わりとしてマイク・ラヴに誘われて加入した。元々はキーボードが専門でベースなど弾いた事がなかった。ところが、ものの2~3週間でベースを習得した(なおギターは多少弾け、アルバム『パーティ』や80年代のライヴで演奏している)。1988年に全米No.1を獲得した『ココモ』のミュージック・ビデオにおいて画面右の方でベースを演奏している。親指で弦を弾くブライアンと異なり、ピックで弾くのが特徴。
1968年に放映されたエド・サリヴァン・ショーにビーチ・ボーイズの一員として出演。隠遁生活を送っていたブライアンに代わりキーボードを担当している。
ビーチ・ボーイズのキャピトル・レコード在籍時にはリード・ヴォーカルを取ることはなく、地味な存在だったが、ワーナー・リプリーズ移籍後初のアルバム『サンフラワー』にてヴォーカル曲「ディードリー」「ティアーズ・イン・ザ・モーニング」を発表、そのメロディの美しさと繊細なヴォーカルで、一躍注目される存在となる。
彼は1971年の『サーフズ・アップ』発表後に当時のマネージャー、ジャック・ライリーと対立し、ビーチ・ボーイズを脱退する。しかしながら70年代を通じてバンドの各作品にゲストとして参加し、1979年の『L.A. (ライト・アルバム)』で公式に復帰した。
ジョンストンはビーチ・ボーイズの1966年の傑作『ペット・サウンズ』を当初より支持したメンバーである。彼はまた「ディズニー・ガールズ」を始めとする数々の名曲を作曲している。同曲はキャプテン&テニールと、アート・ガーファンクルによってカヴァーされた。さらに彼はバリー・マニロウによって取り上げられた全米No.1ソング、「歌の贈りもの(I Write The Songs)」で、1977年のグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞した。同年には3作目のソロ・アルバム『Going Public』を発表している。
ジョンストンは現在もマイク・ラヴ率いるビーチ・ボーイズのメンバーである。また故デニス・ウィルソンに負けず劣らずのサーファーでもあり、60歳を過ぎた現在でもロングボードでサーフィンをたしなむ。
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