ブルーボーイ事件
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ブルーボーイ事件は、1964年(昭和39年)に十分な診察を行わずに性別適合手術を行った産婦人科医師が1965年に優生保護法違反により逮捕され、1969年(昭和44年)に有罪判決を受けた事件。
当時の優生保護法第28条「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行つてはならない」に違反したものとされた。
この判決により「性別適合手術は違法」というイメージがもたらされ、現在で言うところの性同一性障害に対する同手術療法までも制限される結果を生じた。
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[編集] 事件
検察によれば、問題となった行為の経緯は次のようであるとされる。
医師は、 当時ブルーボーイと呼ばれていた男娼の職にある20代の戸籍上の男性3人に対して、1964年に相次いで性別適合手術(当時は性転換手術と呼ばれていた)を行った。
この際、今日の性同一性障害の診療で行われているような、「本当に手術の必然性があり、それは個人の嗜好や職業上の利得を動機とするものではない」という判断を下すに足る十分な精神科的診察を行わなかった。
[編集] 背景
当時は売春の取り締まりが社会的な課題となっていた時期であった。
その中で、少数ながら、性別適合手術を受けた後に売春をする戸籍上の男性たちがいた。彼らは法的には「男性」として扱われるため十分に取り締まることができず、警察や関連機関は何らかの形で「元を断つ」必要性を感じていた。
この事件の被告人医師を起訴したことの背景には、安易に性別適合手術を行っている医師たちに圧力を掛ける意図があったという説がある。
[編集] 判決
1969年2月15日、東京地方裁判所刑事第12部により被告人医師を有罪とする判決が下された。被告人医師は、別件の麻薬取締法違反と併せて懲役2年および罰金40万円執行猶予3年に処せられた。
判決文は、性別適合手術(性転換手術)に対する様々な意見を挙げた上で、次のような判断を下している。
- 性転向症(transsexualism)に対して性転換手術を行うことの医学的正当性を一概に否定することはできないが、生物学的には男女のいずれでもない人間を現出させる非可逆的な手術であるので、少なくとも次のような条件を満たさなければならない。
- 証人・鑑定人となった村上仁、高橋進の報告によれば、手術を受けた3人は性転向症であったと認めることができる(ただし、今日の基準において性同一性障害であると判断できるかどうかは現在となっては不明である)。
- しかし、被告人医師は、上記に挙げたような十分な診察・調査を行わなかった。
- 従って、手術の医療行為としての正当性を認めるには足りず、「故なく、生殖を不能にすることを目的として手術」を行ったものといえる。これは優生保護法第28条に反する。
[編集] 影響と評価
- この判決は、細かな点では今日の医学的判断の主流からはやや外れるところもいくらかは含まれているものの、全体としては今日でも通用するものであり当時としては画期的な判断であったと言われている。
- しかしながら、判決のうち「手術が正当であるための条件」は忘れられ、「性別適合手術の結果、有罪」というイメージのみが一人歩きした。その結果、1998年に埼玉医科大学が行うまで、日本国内で正式な性別適合手術は行われなかった。
- そのため、今日で言う性同一性障害への同手術療法は専ら日本国外で行われたり、「闇手術」として行われていた。
- 判決における「正当性の条件」は、現在の日本国内における性同一性障害診療の基準である日本精神神経学会「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」に影響を与えている。