ヘルベルト・ケーゲル
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ヘルベルト・ケーゲル(Herbert Kegel, 1920年7月29日 - 1990年11月20日)は、ドイツのオーケストラ・合唱指揮者。
ドレスデンに生まれ、幼いうちから聖十字架合唱団の団員となる。はじめはピアニストを志すが、第2次世界大戦中に東部戦線で手榴弾の破片を受けて負傷し、指揮に転向した。指揮をアルフレッド・シュティアー、カール・ベーム、作曲をボリス・ブラッハー、パウル・デッサウに師事。
ドレスデン郊外のピルナで指揮者としての活動を開始するが、まもなくロストックに移る。1949年にヘルマン・アーベントロートのアシスタントとしてライプツィヒに招かれ、ライプツィヒ放送交響楽団、ライプツィヒ放送合唱団の指揮者となる。ライプツィヒ放送合唱団は今でも優秀な合唱団として評価が高いが、ケーゲルはその礎を築いた一人である。1956年アーベントロートの死去に伴い1978年までライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者となり、その後ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となる。
ケーゲルは、ベルリンの壁崩壊の後、1990年にピストル自殺した。もともと彼は以前から何度か自殺念慮を抱いていたといわれているが、統一後に自らの仕事の場所が無くなっていったことへの苛立ち、それによる周囲との不和で鬱状態に陥ったことが原因と考えられている。旧東独時代の放送用録音を含め、古典派から現代音楽に至る膨大な録音を残し、現代音楽に理解の少ない共産圏においてそれらの普及にも力を尽くしたが、彼の活動は未だ正当な評価を受けるに至っていない。
[編集] 伝記
- Helga Kuschmitz, Herbert Kegel - Legende ohne Tabu. Ein Dirigentenleben im 20. Jahrhundert, Verlag Klaus-Jürgen Kamprad, 2003. ISBN 3-930550-27-X
先代: ギュンター・ヘルビッヒ |
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者 1977–1985 |
次代: ミシェル・プラッソン |