ヘンスリー・ミューレン
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ヘンスリー・ミューレン(Hensley Filemon Acasio Meulens , 1967年6月23日 - )は、千葉ロッテマリーンズ、ヤクルトスワローズに所属したプロ野球選手(内野手、外野手)。身長190cm・体重90kg、右投げ右打ち。
[編集] 来歴・人物
1967年に、アンティル諸島キュラソー島に生まれる。その後渡米しトリンテイツ大学からニューヨーク・ヤンキース3Aコロンバスから1994年、ロッテのオファーを受け来日。アンティル諸島は中米にある諸島であるが、オランダ領であることから、日本初の「オランダ人助っ人」が誕生した。なお、本来の名字は「ミューレンス」だが、登録名は「ミューレン」とされた。本人はそれを気にしていたのか、離日直前のサインにはつたないカタカナで「ミューレンス」と添え書きしていた。ロッテでは23本塁打、69打点とまずまずの数字を残したが、三振が多く(135三振)、また同僚だったメル・ホールとの確執があり、1年で解雇された。
1995年、野村克也監督率いるヤクルトに移籍。ヤクルトはアベレージヒッターのトーマス・オマリーを獲得したものの、広沢克己、ジャック・ハウエルの2人の長距離打者を移籍により失っており、長打力を買ってミューレンを獲得したのだ。当初は中軸を期待されたが果たせず、下位(主に7番か8番)に置いて自由に打たせた結果、打率は低いもののその長打力を存分に発揮し「恐怖の8番打者」的な存在として、1995年のリーグ優勝・日本一に貢献した。しかし、結局は打率の低さと三振の多さがネックとなり、1996年退団。
その後アメリカに戻ったがメジャーに在籍する期間はそれほど長くなく、IBAFワールドカップやIBAFインターコンチネンタルカップのオランダ代表としてたまに顔を見せる程度となった。2000年には韓国のSKワイバーンズでプレーした。現在では現役を引退し、ピッツバーグ・パイレーツ3Aのナッシュビルで打撃コーチを務めている。
[編集] 日本での通算成績
- 試合 380
- 打数 1308
- 得点 170
- 安打 322
- 本塁打 77
- 打点 216
- 四死球 153
- 三振 409
- 併殺打 50
- 打率 .246